30 8月 2011
今回の日本出張で、大変興味深かったのはテレビ業界にいらした方、それもパーソナリティやらキャスターをされてた方がソーシャルメディアの番組に出演されているのに出くわしたことだ。裏方ならいざ知らず、現役でテレビに出演されている方々やテレビで冠番組を持たれてたような方々がソーシャルメディアに進出されているというのは、何とも希望的な話だと思った。
具体的に私がお会いしたのは3人で、それぞれの皆さんの番組に参加させて頂いた。さすがにテレビに出られている方というのは個性的で何より「ビジュアル」に対する意識が徹底している。その点、どうしても外見に無頓着な私は見習うところが多いのだが。。。まぁ、テレビ向けの容姿でないことは十分に分かってるつもりなので、その辺は無理しないようにしている(笑) 何しろ、「どじょう」をキャッチフレーズにする政治家が頑張って総理大臣になっているような時代なので。(外見に対するコメントをされていたのには親近感が湧いた。あとあの声もいいと思う。他はまだ未知数なのでノーコメントだが)
小倉淳さんは先のエントリーで説明したJPLIVE.TVというソーシャルメディアチャンネルを独自に立ち上げられているし、堤信子さんはUstのたくひろナイトでお気に入りの文房具に関するテーマでコーナーを持たれている。
で、白沢みきさんの方はというと、拙著「検証 東日本大震災 そのときソーシャルメディアは何を伝えたか?」にもコメントを寄せて頂いたLA在住のコンサルタント鈴木典子さんと一緒にSS Talkという番組を立ち上げられている。二本収録してきたのだが、その最初のものを下記にご紹介します。
英語教育はこれまでにもZEN ENGLISHシリーズで手がけてきたのだが、やはり動画での説明のほうが分かりやすいという方も多いのかも知れない。
貴重な機会に感謝である。
番組は毎週水曜日に更新されているようだ。ご興味のある方はぜひとも購読登録して頂きたい。
3 3月 2011
あんまり普段ネットの炎上騒ぎとかには触れないようにしてるんですが、先日Twitter経由で質問を頂いたのを皮切りに、ちょっとだけ注意を払っています。
もともと私はツイッターがあまり好きじゃなく、それは日本で流行りだしてまもなく、レベルの低い議論や、難癖をつける人たちを見て辟易としたからです。
多くの場合は匿名での攻撃となっており、相手はかなり有名な方だったりするのでそもそもフェアじゃない。
で、最近ではツイッター内の有名人も増えてきたので、実名(じゃなくてもリアル性のある人)VS実名の対決も増えてきた、と。
興味深く読んだのは、@TSUDAさんのツイートで発見した下記の炎上騒ぎ
「francesco3氏」と「めがねおう氏」の炎上ツイートまとめ
何ともむごいですが、最初の論点とまったく違うところの話になっています。私がどちらの味方をするかは言うまでもないですが、「取材対象に敬意を払うのがプロ」という主張に、なんでそこまでムキになるんでしょうか。
こちらには続きがあります。違うメディアに波及したようで。
「francesco3氏」と「そらの氏」の炎上ダダ漏れ その後 まとめ
少しポイントを整理しましょう。
まずはネチケットからです。ツイッターに関するマナーについては、渡辺由佳里さんの著書ゆるく、自由に、そして有意義に ストレスフリー ツイッター術で学べます。社会人としてのマナーがあればいいだけだと思うのですが、社会人というよりは、人としての、というのが正しいかも知れません。
人間同士意見が異なるのは当然ですが、やり取りするにはお互いに敬意が必要です。(もちろん感情的になるのはよくあることで、私も気が短いので、よく分かります。)
ここで何ができるのかを考えてみました。その結果、一つ分かりやすい例を挙げて、「日本人が議論下手」と言われる理由について、私なりの説明をしてみたいと思います。半分個人攻撃になってしまうのですが、この際仕方ないと思いました。あくまでも、「ボタンの掛け違いのやり取りの例」だと思ってください。発言者さんに悪気があるわけではなく、日本ではしょっちゅう起こっていることだと思います。英語を勉強すると、特に、日本人特有の議論の「論理性のなさ」に気付かされることがあります。そして、そこを強化しないと論理的な英語を駆使できるようにはならないのです。英語を学んだ人は日本語まで変わると言われますが、それは脳内で大きな変化が起きるからです。
ここでの例はYahoo!の知恵袋に挙げられたとある質問についてです。質問の内容は同じなのですが、二つ別々の質問が挙げられており、それぞれ全く異なる回答がベストアンサーになっています。
質問は
「私は作家東野圭吾で、先生にファンレターを出したいので、どうやって出したらいいか教えてください。」
というものです。気持ちはよく分かります。
では回答です
回答1 悪い例
真面目に言わさせてもらうと、東野圭吾を芸能人・タレントのカテゴリに分類させてある時点で終わってる。
彼は小説家であって芸能人では無い。ファンを名乗るんならそこらへんからしっかりさせろ。好きな作品は?容疑者Xとか手紙とかだけなんて言わないでちょうだいね。そんなミーハー心だけでファンレター送った所で(しかも返信用付き!笑)迷惑がられるだけだから。
でも、あなたがミステリーに夢中になることは凄く嬉しいこと。島田荘司や真保裕一なんてオススメですよ!是非本屋で見つけたら手に取ってみてください!
ひどいです。ひどすぎます。正直いって、この人はただ他の作家の宣伝がしたかっただけかも知れませんが、名前が挙がってる二人の作家さんの評判を損なうような事態にまでつながりかねません。
何がひどいのか?
1. 質問に答えていない
2. マナーが悪い
3. 関係ないことを答えている
いたって自己中心的であり、助けを求めている人に手を差し延べている姿勢はまったく感じられません。
これが回答になるのは仕方ないですが、ベストアンサーに選ばれるというのは、はっきりいって冗談以外の何者でもないです。
では、良い例はどうでしょうか。
回答2 良い例
出せますよ。出版社にお送りください。いろいろな出版社で発行されている場合、発行している出版社であれば、どこに出しても、作者へ送ってもらえます。
確実に届くのは、一番新しい本が出た出版社のその文庫(文庫本の場合)の編集部宛に出すのが無難です。
たとえば、講談社文庫であれば、〒112-8001東京都文京区音羽二丁目12番21号 講談社文庫編集部 東野圭吾様
などで届きます。参考になれば。
なお、出版社住所は、後書きなどの後のページに書かれています。
また、ちょっと特殊ですが、以下のサイトからも、送れます。http://www.bunshun.co.jp/galileo/message/
最後に基本的な事ですが、出版社を経由しないファンレターの出し方は、原則としてありません。作家などのプライバシー保護の観点と押しかけたりする人を防ぐためです。
まぁ、どういう書き方でも届きますよ。(そもそも、ファンレターであることくらい編集部が気づくでしょうし。)
いたって丁寧で、具体的な説明がしてあります。口調も丁寧です。
私はZEN ENGLISHという英語教育の連載で、英語の会話はキャッチボールである、何度も話しています。多くの人はそれを聞いて、何も新しいものじゃないと思うようですが、そういう人の大半は私が言ってることの理解ができてないと思います。何故なら、日本語のコミュニケーションはキャッチボールじゃなくとも成り立つものがかなり多いからです。相手の言ってることを細かく聞いてなくとも、何となくとかあ・うんの呼吸、あるいは行間を読むことで会話が成立してしまう、これが日本語のコミュニケーションです。良いとか悪いじゃありません。その性質を理解することが重要です。何故なら他の言語とは全く異なるかも知れないからです。 だから「日本の常識は世界の非常識」とか言われるわけです。でも、それもみんな聞き慣れちゃってて、その内耳に入らなくなっていきます。つまり日本人は全体的に「麻痺」してしまっている感覚があると思うんですね。世界の喜びや痛みに共感できなくなってきている、共通項探しがコミュニケーションの大前提だと以前も書きましたが、それができないのでコミュニケーションなんてできる訳がない。
そして、共通項を探すための最初のステップがリスニングです。相手の言う事を聞く行為です。
私はよく関西人は英語が得意な人が多く、グローバルスタンダードに近いと言いますが、それはあながち冗談ではありません。笑いの文化が成熟している関西の地では、みんなが笑いを取ろうと思って、ボケたり突っ込んだりするチャンスを常に伺ってます。つまり、笑わせ上手は聞き上手なわけです。だから、漫談の文化はどちらかという関西には根付かず、漫才やコントが流行ったわけです。
ちょっと感性的なエントリーになりましたが、日本でソーシャルメディアが成熟するために、この意識革命は何とかして通過しないといけないと思っているので、このテーマでは事あるごとに投稿したいと思っています。
日本で起こるべきソーシャルメディア革命の姿とは。。。
19 2月 2011
久しぶりにZEN ENGLISHのエントリー
と、いっても非常に短いものである。
今週LAを訪れていた某社長さんとの会話を楽しんでいた中でのこと、「コミュニケーションの基本は共通項を探すこと」だということで一致した。
彼とのつきあいはもう7年以上になるのだが、英語がまったくできない状態から果敢に海外進出を目指し、ようやく最近形になりつつある。それも誰が聞いても知っているようなビッグブランドやライセンス、そしてNYでも最上級とされるミュージアムを含めた顧客との口座が開設されつつある状態である。彼の英語も、もちろん上達してきている。多くの場合筆者が通訳にあたるのだが、やはりそれでは満足できないらしい。コミュニケーション好きの彼は、自分の力で少しでも「ダイレクト」なやり取りを楽しみ、相手に自分を印象づけたいという。話しながら相手をじっくり分析していると、服装や過去の経験、色んなことでこの「共通項」は見つかるものだ。
日本人にとって英語という外国語でのコミュニケーションは難しいものである。しかし、基本が分かっていれば、気持ちをつなげるのはそう難しいことではない。巷では英語公用語化の影響も受けて、とかく英語のスキル的な部分についてのディスカッションが増えているようだ。しかし、根本的な部分はこの「共通項探し」であり、人とのコミュニケーションを楽しめるかどうかにかかっている。つまりこれは日本語で話していてもまったく同じことなのだ。母国語である日本語を話している時には、この部分は自然に実行できているか、あるいはそれほど意識していなくて、結果的には自分のコミュニケーションのレベルを制限してしまっているかのどちらかになっているかも知れない。
私が17年前に初めてアメリカの地を踏み、周りが「外国人」だらけになった時、ほとんど私の英語は通じなかった。しかし、一緒に時間を過ごす中で、何とか共通項を探そうとして、意外に学校で学んできた世界史の知識が役立つことが分かった。世界史では地理や文化史などについても深く学んだので、時には先方がびっくりするような内容も話せたことがあった。こういうことから自分の印象が相手の中に形成されていくし、ある意味、眼の前の異国人に対して自分が日本人の代表となっているような気持ちでコミュニケーションしていたことも多かった。
英語の学習でつまづいている人は、一度普段自分がとっている日本語でのコミュニケーションの内容を見つめ直してみることだ。
コミュニケーション上手な人のそれと比較したり、助言を聞いてみることで英語力も向上するに違いない。文化や歴史、育ちの背景といったところで共通項が俄然少なくなる外国人とのコミュニケーションでは、ハンデが急激に大きくなるのだから日本語でできていないことを英語でやるというのには無理がある。そして、この英語という言語こそが世界の人間をつなぐ共通項になってきているということを忘れないでいて頂きたい。英語ができるから国際人になるのではなく、国際人としてのマインドをもって生活していく中で英語力が向上していくのだ。
22 11月 2010
海外での生活やビジネス体験が長く、日本人としては(恐らく外交官や商社、そして恐らく通訳などの人間も含め)トップクラスの英語を話す人たちが語る内容は本当に参考になる。ちなみに、ここでの対談を続けている吉田宣也氏は最近自身のブログで「英語公用語化」についての一連のエントリーを投稿をされている。
吉田氏の世界を舞台にした活躍の幅広さにはいつも驚かされるが、この度マイクロソフトが12月2日に東京で主催するマイクロソフトイノベーションデイにもITベンチャー向け分科会の講師として参加されることが決定しているようだ。
さて、今回はどういう話が飛び出すのだろうか。
英語と日本語との違いについて
吉田: 例えば、「古池や 蛙飛び込む 水の音」を英語にするのは難しいですよね。
立入: というより、英訳することはできますが、確実に何かが失われている気がします。
吉田: そこに何行もの注釈をつけない限り、説明しきれないものが、日本語のひと言ひと言にあるように思えます。例えばここの「蛙」は、日本語自体では単数か複数か不明ですが、多くの日本人は一匹のカエルと確信します。また、表現されているのは「音」なのに、詠まれている心は「静けさ」です。(この意味では「岩にしみ入る蝉の声」も同じですね)
余談ですが、中国語にはもっとすごいパワーがあります。たとえば「名月や 池をめぐりて 夜もすがら」という芭蕉の句があります。これはこれで素晴らしく完成された表現だと思いますが、一方で中国語では、月が池に映ってゆれるさまを、「酔月」(シュイユエ)というひと言で表現することができちゃいます。
立入: 酔ったお月さま、ですか。素敵ですね。私も言葉に関しては人一倍こだわりがあり、以前から「言霊」というものについて書いたりしています。ある意味人間の内面的な部分は言葉によって構成されているといっても過言ではない。「国家の品格」で有名な藤原正彦教授は高度な国語力が高度な情緒を生み出すという趣旨の内容を「祖国とは国語」という本で語られていますが、私はこのメッセージに衝撃を受けました。確かにその通りかも知れない、と。
吉田: はい。大げさですが、言葉というものに、用件を伝える道具以上のものを感じる時です。誰でも子供の頃、暗い所とかお化けとかが怖かった時期があると思いますが、そういう頃は、「亡霊」とかいう漢字を見ただけで怖くなった記憶がありますよ(笑)
立入: そうそう、それが「ボーレイ」じゃ怖くも何ともない(笑)
ということは吉田さんは、英語より日本語のほうが表現が豊かな言葉である、とお考えですか?
吉田: うーん・・・〔しばし考え〕、はい、それは、よくある通説なんですが、自分は必ずしもそうは思わないんです。そのことにちょっと関連して、よく「英語には敬語がない」って言うじゃないですか。立入さんも同感のはずですけど、これ正しくないですよね。英語にも、丁寧に言う方法、相手に対する敬意を込める方法、謙遜する方法、全部ありますよね。
前回紹介した映画「ア・フュー・グッド・メン」の例を再度出しますが、弁護士(トム・クルーズ)が重要参考人である大佐(ジャック・ニクラウス)に対して、ある書類の提出を要請します。最初は、それをください、と普通に(“I need a copy of the transfer order.”)言うのですが、大佐は意地悪から、ちゃんとナイスな頼み方をしろ、と言い返し
(“You need to ask me nicely.”)、
トム・クルーズが怒りを抑えながらも最大限に丁寧な表現に言い直すのです。
(“Colonel Jessep, if it’s not too much trouble, I would like to have a copy of the transfer order…, sir.”)
でもたしかに、敬語に関しては、アメリカ西海岸を中心に、ちゃんと使われない傾向が少しずつ出てきていて、悲しいことだと思います。あ、でもそういった傾向は、日本にもありますね。手紙の末尾に女性だけが使う素敵な響きのことば「かしこ」なんて、もうじき死語になっちゃうんじゃないですか?
立入: 日本ではケータイ文化の浸透で確実に言葉がはしょられてきている気がします。言葉の重みがなくなっているだけでなく、ボキャブラリーも少なくなってきてるんじゃないでしょうかね。新しい言葉もどんどん生まれてきてますが、ほとんどが省略語だったりします。
吉田: 敬語以外にも、日本語のもつ「深み」や「味わい」が英語にはない、とも言われます。それもちょっと違うと思います。冒頭に掲げた「古池や・・」を英訳する試みはあるが、どれもオリジナルの味わいを完全に失っている、という主張を聞きますよね。でもそれは、異なる言語間に横たわる大洋を渡るときの宿命のようなもので、逆に英語から日本語にしたときだって同じように失われるんです。それを失わないようにする努力が、凡庸な訳者と非凡な訳者の差が出るところでもあります。また、どちらの方向にも、名訳というものが生まれるゆえんでもあるわけです。
立入: なるほど。一般に名翻訳家と呼ばれる方々は、そういった部分で確実に実績を出されてるんでしょうね。
吉田: 日本に俳句や詩があるように、英語にもあります。なかでも簡単だけど美しいものを抜粋して紹介するので、せひ読んで味わってみてください。英語のもつ芸術性をちょこっと感じて頂けるのではと思います。
My love feeds on your love, beloved,
and as long as you live it will be in your arms
without leaving mine
- Pablo NerudaThe birds around me hopped and played,
Their thoughts I cannot measure
But the least motion which they made
It seemed a thrill of pleasure.
- William WordsworthBut what do I care, for love will be over so soon,
Let my heart have its say and my mind stand idly by,
For my mind is proud and strong enough to be silent,
It is my heart that makes my songs, not I.
- Sara Teasdale
立入: うぅむ。まだまだ私のレベルでは到底手に負えないレベルですね(笑)
(続く)
吉田氏対談 3 4 5 へ
10 11月 2010
ほんとそうですね。やっぱり映画は、何が何でも原語で楽しんでほしい。もし一回でわかりにくかったら、2度でも3度でも観てほしい。そうする
と、印象に残る名セリフ、大好きなセリフ、自分も言えたらかっこいいだろうなー、と思えるセリフ、などに出会えます。
私の個人的な例をあげていいですか?
映画「クリムゾン・タイド」で、原潜の艦長(ジーン・ハックマン)と副艦長(デンゼル・ワシントン)が、核ミサイルの発射をめぐって大激論を交わす場面。

「シティ・オブ・エンジェル」で、天使セス(ニコラス・ケイジ)が図書館で心臓外科医マギー(メグ・ライアン)にヘミングウェイによるオイスターと白ワインの描写を読んで聞かせる場面。
「コンタクト」で、宇宙科学者エリー(ジョディ・フォスター)が別の惑星に飛行しながらその景色を口頭で描写し続けるシーン。「So beautiful -
no, no words. They should’ve sent a poet to describe this.」
「ア・フュー・グッド・メン」で、エリート弁護士たち(トム・クルーズ、デミ・ムーア) と鬼大佐(ジャック・ニコルソン)とのバトル。
「Iwant the truth! 」 「You can’t handle the truth!」 「My existence,while grotesque and incomprehensible to you, saves lives.」 「I
have neither the time or inclination to explain myself to a man who rises and sleeps under the blanket of the very freedom I
provide and then question the manner in which I provide it. I would rather you just said thank you, and went on your way.」
こういったセリフの、輝き、のようなものって、訳したら絶対失われると思うんです。ていうか完全に失われてます。吹き替えでは。
この点に関連して、もう一つ興味深い話題があります。「ハウルの動く城」ご存じ宮崎駿のアニメ映画です。これの日本語音声での声の出演が、キムタク、倍賞智恵子、美輪明宏といった豪華キャストなんですが、英語音声のほうも負けず劣らず豪華キャストなんですね。ソフィー役にジーン・シモンズ、ハウル役にクリスチャン・ベール。で何が言いたいかというと、両方を聞き比べた場合、英語で聞いたほうが断然良い、という意見を、複数のバイリンガルの人から聞いたことがあります。
立入さんもぜひ聞き比べてみて下さい。DVD貸しますから。
あ、この話は、英語の話題そのものから離れてしまいましたね。ハウルの日英語のできばえは、言語の優劣ではなく、声優ごとの優劣や、俳優や声優のレベルや層の厚みの日米差といった問題でしょうからね。
では、話を英語にまつわるもう少し具体的な事例に戻しましょうか(笑)
<続く>
吉田氏対談 2 3 4 へ
3 10月 2010
(前回からの続き 世界を舞台にメンターやエンジェル、あるいは投資顧問として活躍されている吉田宣也さんに英語上達の秘訣についてお伺いしています)
Q3:では例えばここでいう「縦軸」同士や「横軸」同士のシナジーを利用して、英語を効率的に勉強する方法ってありますか?
吉田: あります。例をあげますね。
まずは、左の縦軸「聞く」と「話す」の相関関係を利用した上達法です。
☆1秒ディレイリピート法:英語を聞きながら、聞いたままをおうむ返しに口に出してしゃべる方法です。最初は意味がわからなくてもいいんです。また、知らない単語があったり、聞き取れなかった部分があってもいいんです。素材としては、ビデオを掲載しているニュースサイト、例えばCNN.comなんかがいいでしょう。内容や出てくる用語がわからなかったら、いったん関連する記事を読んでからこれにチャレンジするとだいじょうぶです。
立入:なるほど、これは通訳学校なんかでも最初にやるシャドウイングという手法ですね。
吉田:そうらしいですね。これはかなり有効なんです。注意事項として、発音も、アクセントも、抑揚も、全てまねることが重要です。これを続けると、「ほんとに英語みたいに聞こえる英語」が話せるようになっていきます(笑)
立入:あははは。確かに、ネイティブからすると全く英語に聞こえない英語を話す人って結構いますよね。勿論私の英語も昔はそうだったと思いますし。
発音のせいもあるんでしょうけど、それだけじゃないですよね。英語特有のイントネーションや強弱といったものを身につければ、格段にそれっぽく聞こえるようになりますし、第一相手にしっかり伝わるようになりますよね。
吉田:その通りだと思います。さて、次の例は、受信系の横軸シナジーを活かす例です。
☆字幕音声同期法: 名前は大げさですが、実はなんてことないんです。好きな洋画のDVDで、音声を英語に設定し、字幕も英語に設定し、字幕を追いながら音声を聞く訓練です。自分の英語レベルによって、最初は一度その映画を日本語音声・日本語字幕で観るとか、英語音声・日本語字幕で観る、とかしておけば、内容は頭に入るのでスムーズです。好きな映画、好きな俳優を選べば全然つらくない練習になると思います。慣れてくると、俳優がしゃべってることと、字幕に出ることが異なるときがあるのに気づきます。
立入:なるほど。あれ?気になったんですが、今あげて頂いた2つの例は、どちらも英語だけの世界で完結する勉強法で、日本語は介在しないんですね!
吉田:そうなんです。この2つの訓練では、日本語は頭から忘れ去って取り組んだほうが効果的だと思います。
慣れたら少し応用編にもチャレンジしてみて頂きたいと思います。たとえば、洋画DVDで、とくに好きな場面に絞って、まずは1秒ディレイリピート法を何度かやる。英語字幕あり、なし、の両方をやってみる。次に、音声ボリュームをゼロにして、字幕を観ながら自分が俳優の台詞をしゃべってみる。あるいは、英語のニュースビデオを聞きながら、1秒ディレイではなくて、1センテンス、または適当に、自分の頭のバッファーに収まる長さで一時停止し、その部分を繰り返して言ってみる。ただし、2度繰り返してみてください。2度目を同じようにしゃべるのが結構難しいことに驚くのではないかと思います。でもそれができてきたら、そのフレーズは半分自分に身についたと言えると思います。
立入:発音、抑揚、アクセント、セリフと一気に学ぶことができて実戦でもすぐに使えそうですね。映画を原語で理解できるようになると、俳優さんのアクセントなどに注意がいくようになって、誰々の話し方が好きとかがでてくるんですよね。ちなみに私はキアヌ・リーヴスの喋り方が好きなんですけども。あの斜めに構えた感じが何とも言えない(笑)
(続く)
2 10月 2010
メンタルを変えることであなたの英語力を飛躍的に向上させるZEN ENGLISHの一環として、これからしばらく筆者が今まで会った中でもトップクラスの英語使いの皆さんとの交換書簡という形でのブログ対談を連載していきます。記念すべき最初の対談はウイルス・バスターでお馴染みのトレンドマイクロ社の日本での創業者である吉田宣也さんです。
吉田宣也氏関連リンク
吉田宣也公式サイト
ブログ
MIT-EFJ
吉田さんは日本でも数少ないメンターあるいはエンジェル投資家として、ビジネスにおける後輩の育成を世界規模で展開されているという今の日本にとっては非常に貴重な存在です。その活動を支えているのは彼の長年のビジネスの経験やスキルは当然のこと、その卓越した英語力にあると思います。
Q1 まずは英語を学び始めた時期ときっかけをお聞かせください。
吉田: はい、若い時期からその重要性を認識して研鑽を重ねてきました、などと答えられたらいいんですけど、まったくそんなことはなかったです(笑)。 高校まで日本で過ごして、突然、単なる冒険心から海外に飛び出したくなった、そこで、日本語って日本でしか通じない!という現実に直面(笑)、とりあえずかじった外国語としては英語しか思いつかなかったので、それが使われている国として米英などを検討、気候も考慮して(笑)カリフォルニアの大学を選んだ、そんな感じです。で、行ってみたら日本の学校でいちおう優秀だった英語力では全く歯が立たないことを思い知らされ、その敗北感、挫折感が英語を磨くエネルギーに変わった、というところです。答えになってますかね?(笑)
立入:もちろん十分参考になります。(笑)
吉田:きっかけとしてはそんなものなのですが、普通の日本人留学生(当時は少なかったです)と差がついてきたのは3年目くらいからだったかも知れません。というのは、一般に日本からの留学って、半年から2年程度の期間、ということが多いじゃないですか。それって、もったいないぐらい中途半端な期間だと感じます。到達したい語学力のレベルが、日常会話程度で良いならそれで構いませんが、語学をやる、というより、言語をマスターする醍醐味が感じられ始めるのって、そこから先でどんどん出てくると思うんです。
立入:筆者自身も10歳の頃から英語を学習し始めて、大学で留学を経験し、長いこと英語を勉強してきた立場なのですが、その過程で英語の壁にぶつかっている人というのを多く目にしてきました。筆者自身も経験していることですが、英語は日本語とかなり異なる言語なので、初級・中級・上級それぞれのレベルで何段階かの壁があるように思えます。
Q2 英語のラーニングカーブででてくる「成長の壁」をうまく乗り越える方法について、英語学習者に何かアドバイス頂けませんか?
吉田:あー、そういう「成長の壁」に関して一般的な認識があるんですねー。 私は知らないかも知れないので、自分の体験や手法をお話する前に、その一般論って教えてもらってもいいですか?
立入:一般的には英語力の成長カーブはなだらかなカーブを描いて上昇するというよりは、階段のようだと言われます。つまりある一定の期間同じレベルが続いて、どこかでブレイクスルーがあって、急にパッと上の段階に行ける、みたいな。僕も経験上正しいように思えますね。急にネイティブの英語が聞き取れるようになった瞬間とか、自分の発音が通じるようになった瞬間とか。
吉田: なるほどですね。私の持論として、外国語の「読む、聞く、話す、書く」の4つの行動に分かれるのですが、その4つはこのような4つの象限に並ぶと思うんです。
つまり、言葉は、話し言葉と書き言葉、に大きく二分され、発信と受信に二分されるということです。 このとき、話し言葉系の2つのアクティビティは、ほとんど二人三脚で上達する。書き言葉系も同様、そして、発信系の2つも、受信系の二つも、やはり二人三脚の関係なんです。
それがどういう意味をもつかというと、たとえば自分でLとRの発音が正しくできるようになると、とたんに耳がLとRの聞き分けられるようになる。とか、映画などで素敵なセリフを聞いたら、使ってみて自分のものにする、とか、メールで説得力のある表現を見かけたら、見習わせてもらって、別の機会に自分が応用して使えるようになったり、とか。これらが図でいう縦軸方向の相関関係になるわけですが、一方で、横軸方向のシナジーもあるんです。ある主張をするときに、その主旨や結論と、それを裏付ける根拠とか理由とか背景とかを効果的な順序に構成して述べるというのは、話すときでも書くときでも同じように大切ですよね。
ここまで議論してくると気づかされるのが、「英語力」を議論するときに要求される力の一部は、英語の能力ではなく、概念や論理を扱う力であるということです。その証拠に、あの人は英語を使いこなしている、という日本人がいたとしたら、ほとんどの場合その人は日本語においても能力が高いはずだと思います。立入さんも海外にいて、そう感じることが多いのではないですか? たちが悪いのは、日本語も英語もよく話すけど、よくよく聞いてみると内容がない人っていますよね。そういう人って、本当に言葉をあやつる力があるかと言うと、違うんじゃないかな、って。
立入:なるほど~。さすがによく分析されていますね、マーケティングや投資分析の専門だったりされるのがよく伺えます!
(続く)
吉田氏対談 2 へ
7 9月 2010
普段はあまり芸能ネタを取り上げることのない当意力ブログ。(日本の芸能界のネタはもちろん日本在住の方々が書けばいいわけであるから、書く意義も意味もないと考えている)そんな硬派(!?)のソーシャルメディアブログを目指しているこのブログでも今回は少し触れておきたかった表題の件。
日本ではあれだけ話題になっても海外で話題になるようなことは滅多にない日本の芸能界の話題だが、その中においても今回のCNN GOの英語インタビューは例外かも知れない。この発端は7月に発表されたThe Tokyo Hot List 2010: 20 people to watch なる企画で彼女が一位になったことを受けてのものであろう。
筆者は芸能界の専門でもないし、あまり書くことに興味もないのでここでは全く別の観点からこのインタビューを取り上げてみる。それはずばり英語についてだ。ご存知の通りこのインタビューは沢尻エリカ自身が「英語で」語ったとされている。(そして、恐らくその通りだろうというのは読み進めてもらうとよく分かる)
筆者も少し興味があったので英語のインタビューをまず読んでから日本語版と読み比べてみたのだが、いくつかの発見があった。そして、個人的に非常に気になっている部分(これはインタビュアーに確認したいところだが)が数点あるので、それを書いてみたい。 続きはコチラ
9 8月 2010
電子化の先例実は日本ではとっくに普及してた電子出版~発想の転換
発想の転換というのは非常に重要であると思う。これは筆者が最近傾倒している禅の思想にも通じるのだが、人間はともすれば自身のルーチン化あるいはマンネリ化した社会生活の中で、知らず知らずの内に固定観念に支配され、そのことに全く気づかないでいるということがよくある。本書の目的は電子出版についての筆者の体験談の共有と市場全体のちょっとした啓蒙貢献であるので、脱線と思われるのを承知で少しこのことについてまず触れたい。
例えば英語である。筆者は10歳の頃に友人の母から当時の親友3人ほどと少人数レッスンを受けたのを皮切りに英語を学び始めた。それから有名なアカデミー出版の「家出のドリッピー」などの教材や、マーク・ピーターセンによる「日本人の英語」シリーズなどに代表されるような日本人の英語学習に関しての本を読み漁った。特別英語が好きというわけではなかったが、当時は外交官や国連での勤務を志望していただけに英語を避けては通れないという気持ちが強かった。(同時にタイピングの重要性も感じて中学を卒業する際に母からワープロを買ってもらって本格的なタイプの勉強ができるようになったことにも心から感謝している。
文章を書くのは好きだが、あまりにも字が汚い私にはワープロはまさに竜が水を得るごとくのツールであったのだ)それから高校も大阪府に当時初めて設置された「国際教養科」という特別なカリキュラムの学校に入学した。(この特別なカリキュラムは府下では千里と住吉の二校でまず試験的に導入され後に拡大したのだが、筆者が行ったのは後者)その後アメリカに留学し、UCLAという大学を卒業してからビジネスを続けるにいたるまでずっと英語を使い続けている。もちろん英語での会話には不自由はしないし、2000年の帰国時に初めて受験したTOEICでも970点という自分でも信じられないような高得点を得た。 (おかげで二度と受けることはなかった。スコアが下がる可能性の方が高いし。ちなみに同時に受けた英検1級は不合格だった)
そんな筆者から見ても英語は本当に難しい言語であるという思いが強い。これに追い討ちをかけるのが、日本人ならほぼ誰でもがもっている一つの壁である。それが「ペラペラ」というやつだ。筆者の周りには英語を自在に操りビジネスでも日常生活でもほぼ不自由しない人物が両手では足りないほどいる。しかし、彼らに対して「あなたは自分で英語がペラペラだと思いますか?」と聞いたらほとんどの人物は「NO」というだろう。傍から見ると、どう考えても「ペラペラ」なのに、何故か?答えは簡単である。「ペラペラ」という言葉に定義がなく、本当にこの言葉自体が薄っぺらい「ペラペラ」な言葉だからだ。だから英語を勉強する際には「ペラペラに話せるようになりたい」などとは思わずに、具体的な目標をもつことだ。それがTOEICでもいい、発音に対してでもいい、好きな分野について語れるだけの知識を得ることでも話せることでもいい。あと、ついでに一つだけアドバイスすると「発音」の勉強に注力したほうがいい、もっと理論的に、である。筆者は英語を話す際にネイティブと非ネイティブの間にある決定的な違いはスピードと発音だと思っている。
ちなみに大事なことなのだが、ここでの発音という意味は「アクセント」ではない。
日本的なアクセントが残ってしまうのはむしろ日本人的でいいと私は思っている。しかし、通じないことの大半はアクセントではなく、「発音が間違っている」という事実であることに気づくべきだ。また発音は舌の位置や口の開き方による「相対的」なものであることが多く、それぞれの音には相関関係がある。これらが一定していればアクセントが多少強くても英語は十分に通じるのである。(聞いている者の耳が慣れるのにしばらくかかるかも知れないが)これと似たようなモノにゴルフで初心者を悩ませる俗にいう「100の壁」というのがある。あまりにゴールを意識するあまりに自分で壁をつくってしまうというやつだ。また少し違って例になるが逆の影響がでているのが「関西人バイリンガル説」と筆者が名づけた現象である。これは、(実は関西人に限定されることではないのだが、関西人が標準語を話すのが苦手だということから、これがもっとも強いと思っている)関西人はテレビのニュースや読み書き上では標準語を完全に理解しながら、それらを話し言葉にまったく影響させないということ自体が、一種のバイリンガルだ、というものだ。半分冗談みたいな説だが、実は脳の切り替えという意味ではここで行われていることというのは、外国で生まれた日本人の子供たちとなんら変わるところがないのではないか。片親が外国人だったりした場合に、例えば子供に日本語で話しかけても返答が英語などの違う言葉だったりするのを耳にしたことがないだろうか。要はあれである。
18 7月 2010
久しぶりのZEN ENGLISHエントリーだ。
少し前の記事になるのだが、興味深い記事をみつけた。
天才プログラマに聞く10の質問 番外編
第4回 国語力とプログラミング力の関係 解説編
これはもともととある若き天才プログラマをインタビューしていた別記事での発言がもとになったエントリーである。
Cyan言語で経済産業大臣賞を受けた開成高校の林拓人くんと対談(「Cyan を設計した高校生、5カ月で5つの言語を習得」)しているうちに、つい調子に乗って「わたしの持論ですが、国語ができる(=日本語できちんとした文章が書ける)人じゃないとプログラムは書けない。これは非常に重要です」と発言してしまった。
ここでも述べられているようにプログラム言語というのは言語と呼ばれるだけあって、実は英語や日本語などの(人間)言語とも相関性がある。このことに筆者が気づいたのはUCLAで学んだ際に、外国語の必修があり、その選択科目の中にSpanishやGermanといった普通の外国語以外に数学が混じっていたことである。(もしかしたら今はコンピュータ言語も含まれているのかも知れない)
■いまの日本の学校教育で、文章を書く力は養えない
日本の学校教育における国語の授業では、情報を正確に伝えるという言葉の重要な側面が少なからず捨象されている。ソフトウェアの企画書を例題として、どの部分の情報がまだ不足しているか、どこに矛盾があるかといった問題がセンター試験の国語で出るようになるのはだいぶ先の話か、あり得ない話だろう。振り返ってみるに、何かを正確に書くという訓練は、高校までは数学の証明問題でしか行われていない。だから、大学や社会に入ってから、「何でこんな分からん文章を書くのや!」と怒られてハッと気付く。もっとも、怒っている方も、それ以前の同じようなタイミングで気付かされていたのだ。なので、日本社会全体が情報伝達手段、あるいは情報構造構築手段としての言葉を使う能力に関しては奥手なのである。そんなの、誰かが指摘すればすぐ改善できるだろうと思われるかもしれないが、日本の教育システムにはトヨタのような戦略的なカイゼンはないのである。
■あなたは、たった1つの短い文を正しく書けるか?
さて、わたしの知っているソフトウェア工学の専門家の多くは、「ソフトウェア全体で見ると、コーディング、つまりプログラムを書くこと自体は大したコスト比率ではない、あるいは重要性を持たない」と主張なさる。 昨今、ソフトウェア開発工程では実に多種多様の言葉(図式表現も含む)が使われる。プログラムは、要求仕様定義などから工業生産的にほぼ半自動的に生成されるようなものだというわけである。しかし、わたしはちょっと違う意味で、そうは思わない。形式的な要求仕様定義自体も広い意味でのプログラムなのだ。つまり、何かを正確に指示しないといけないのだから、狭義のプログラムを書くのと同様の言葉力がいる。小さなプログラムですら正しい作法で書けないような人が偉そうにソフトウェア開発全体を管理できるはずがない。
これらには筆者も激しく同意である。英語学習に通じることも多い。英語というのはとにかく「具体的」で「論理的」な言語である。一つのセンテンスに必ず一つポイントがないといけない、などというルールを日本語の作文では学ばない。(何せ日経新聞が未来面であつめる寄稿の分量が400文字である。小学生の作文じゃあるまいし) 前の分と次の文を明確につなげるという内容やトピックセンテンスという内容もプログラム言語に通じるものがある。
ちなみにここで紹介されている天才プログラマの林君は五ヶ月で5つのコンピュータ言語を習得しているが、言語学を学ぶ学生は同時に多くの言語を学ぶ。言語のロジックを理解することで多言語を効率よく学ぶことができるようになる、というのは英語教育の水準を数十年かけてもほとんど向上できない日本の教育関係者にとっては目からウロコなのではないか。(よもや理解できてるとは言わせない、結果がゼロなんだから)
言語といっても例えば文学などの芸術的な作文についてはまた違うという意見も聞こえてきそうだが、基礎の国語力がない人間は大した文章が書けないと思う。逆に言うと、文豪と呼ばれるような人物はいかにその執筆スタイルが芸術的で感性的であろうとも、おしなべて深い国語の素養があると言える。英語力は国語力までにしか上達しない、というのは耳が痛い言葉であるかも知れないが、逆にいうと英語を学ぶことで国語力が向上するということもある。英語を話す人は日本語でプレゼンをしてもうまく表現できるのはこのような英語の優れた修辞法(レトリック)の技術を学んでそれを日本語に応用しているからである。
英語力向上に興味のある方はぜひとも本文を読んで頂き、「メンタル」を変える参考にして頂きたい。