Archive for the 「 開国談義 」 Category

日本に出張していて、つくづくモバゲーの普及の凄さを実感していたのだが、9月8日終値時点での株価ベース、いわゆる時価総額(売上ではまだDeNAのほうがだいぶ大きい)でグリーがDeNAを抜いた、とテッククランチジャパンが伝えた。

グリー、時価総額でDeNAを抜く

グリーの時価総額が本日のマーケットの終値ベースで5,986億2900万円に対して、同じくDeNAは5,904億600万円だった。ほんの1カ月ほど前までは両社は2,000億円ほど近くの市場の開きがあったが、ここ直近のグリーの株価上昇で逆転となった。

ヤフーのチャートを見ると、確かに二社が肩を並べており、グリーが上位に立っている。
グリーの時価総額

で、一般的に日本を代表するSNSであるとされるミクシィ(2121)はというと、時価総額は521億円と前述二社の十分の一にも満たない。
創業時期には散々ミクシィと比較されて、「終わり」とまで言われた(グリー社長談)グリーだが、蓋を開ければ何のことはない急成長の一歩である。(この違いを見て、後付で理由を単にゲーム云々、とだけ考えているようなアナリストからは株の指図を受けないほうがいいのではないだろうか、というのが個人的な意見 笑)

もちろん、今回の話は時価総額であって売上や利益が並んだというわけではない。ましてや株価の変動は必ずしも企業の実態を表しているわけではないし、同じビジネスをしながら両社の株価収益率は異なっている。この直近の四半期ベースでは、2011年の4月から6月ではグリーは売上210億9,300万円で営業利益は97億8,900万円。一方のDeNAは売上346億4,900万円、営業利益は158億900万円で、利益ベースでみてもまだ1.5倍以上の差はある。もちろん、DeNAにはいわゆるソーシャル事業以外の収益も含まれているので、同じビジネスでの比較ではないが、企業としてみればこれぐらいの差はまだある。

ただ、直近の値上がりなども含めて、国内のインターネット市場で最も注目されているのはこの2社であることは間違いない。よく知られているようにこの会社はライバル関係にあり、いや、そうだからこそ同じ土俵で競争しながら、成長し続けているのだと思う。

(ちなみに、一時期は飛ぶ鳥を落とす勢いだったインターネット広告代理店系の時価総額はそれに対してあまり冴えない。
トップのサイバーエージェントは1500億円超と、それなりの規模になっているが、オプト(139億円)やセプテーニ(57億円)はあの頃の勢いがどこにいったのかというくらい地味な存在になりつつある)

両者、ミクシィ、三社は三様のパターンで海外展開を睨んでいるようだし、今後の活躍に期待したい、というかエールを送りたい。
海外進出の壁はまったく甘くはないのだから、確実なプランを模索するよりは、市場が求めているビジョンを見極めて、それに同調していけるビジネス展開を構築していくのが正解ではなかろうか。今や日本を代表するIT企業として、体力があるうちにこそ、リスクを取っていって欲しいと願う今日この頃である。

ちなみに、筆者も昨日から「カイブツクロニクル」を始めてみた(笑)

環境会議2011年秋号

匿名社会の時代からデジタル村社会の時代へ という題で寄稿をしました。

先日来ブログやツイッター上で話しているように、サイバースペース上の環境問題という視点を専門的に扱っていきたいと考えるきっかけとなった寄稿でした。日本的には環境社会学(検定まであるんですね 笑)という分類になりそうなので、日本での思想的潮流も理解しておきたいとは考えていますが、特にソーシャルメディアに関してはアメリカの方が議論が進んでいるので、主にそちらから情報を取って私なりに分析していきたいと考えています。現在ウィキペディアをテーマにしたものが一冊、そして「資本主義とTOKYO文化」をテーマにしたものが一冊執筆予定。(後者は版元が決まってませんので、ご興味のある出版社の方はぜひご連絡を)

環境学を考える時の主要テーマは「持続可能な発展」と「多様性」であり、これはサイバースペースでもソーシャルメディアの世界でも変わりはありません。先日読み終わった稲葉振一郎氏の「経済学という教養」で結論の一つに挙げられている「知的分業」はウィキペディアに直結する内容です。そして、全体的な教養の底上げをするにあたり各自が専門分野を持つこと、という意見には全く同感。
ここからさらに現代の日本が抱えている「TOKYO文化」の内情と課題についても深く突っ込んでいきたいと思っています。
各自が専門分野を持つ必要性についての最大の理由を稲葉氏は「他人の「専門知識」に対する尊敬の念を持てるようになること」と指摘しています。ここに秋葉系と草食系の決定的な違いを見るのは私だけでしょうか?

(奇しくも世界で一番最初にインターネットがつながった大学である)UCLAを99年に卒業した後、2000年に帰国した私は英語を使う仕事が少なかった大阪で就職活動をするうちに縁あって、コンピュータ・ハードウェアの業界にバイヤーとして入ることになり、強烈な「秋葉系」の洗礼を受けました。しかし、それは後の私自身にとって大変貴重なスキルと「視点」をもたらしてくれたと思っています。
(初日にパーツの箱を目の前に積み上げられて自分でPCを組み立てろと言われた時にはびっくりしましたが)

その他にもアニメやゲーム、アイドルなど複数のジャンルを抱える秋葉系はその後も日本の一部の消費社会をサポートしてきました。
実際に「Dパラ」や「Jぱら」というお店でも働いてみて思ったことは、彼らの中にある「スキルと知識」に対するレスペクトでした。
そこは年齢も肩書きも外見も、そして下手をすると社会的常識すらも関係ない、ただ力だけが支配する「弱肉強食」の世界だったのです。「知ったかぶり」はある程度は許容されても、「嘘」は通じません。そして各自が自分の専門分野(コア)を持っていて、それを名乗るのが重要だったりします。「私は○○オタクです」と名乗ることにより、自身の素性を明らかにし、互いの専門分野に対しては敬意を表するという世界であるように思いました。(もちろん互いの専門分野が被った場合には激しい会話のやり取りの中で、互いのランクを見極めるみたいです。まるで戦国時代みたいです 笑)

しかし、最近「植物系」に転化していっているとも言われる「草食系」の世界にはこの競争の概念が存在しません。(草食なんだから当たり前ですが)秋葉系を支えていたのは飽くなき向上心だったと思います。そして、互いがスキルや知識に敬意を表することで得られる満足感がそれを支えていたのではないでしょうか。「スゲェ~」とか「さすが~」って言われるのは多くの人にとって快感です。草食系にはそれがありません。これは逆に言うと相手に対して敬意を評していないどころか、単に無関心であるということを指すのかも知れませんし、更に突っ込めば単に「傷つきたくない」という思いからきているのかも知れません。

私の中でTOKYO文化とは、土着の東京の文化ではなく、その一極集中により活性化した人口集中の中で生まれた現代的日本文化のことを指します。それが良いとか悪いということではなく、在外邦人の立場でそれを客観的に分析して、(日本に住んでいる)日本人には見えにくい視点を提示していきたいと考えています。うまくまとまればいいんですが。

ソマリアでの飢饉のニュースが日本滞在中にも流れていたが、事態は深刻化しているらしい。
ソマリア飢饉、南部全域に拡大の見通し 国連
ソマリア飢饉

【9月3日 AFP】国連人道問題調整事務所(UN Office for the Coordination of Humanitarian Affairs、OCHA)は2日夜に発表した報告で、飢饉(ききん)が発生したソマリア南部の状態は、国際社会の大規模な支援にもかかわらず悪化しており、飢饉は今後数日中に同国南部全域に拡大するとの見通しを示した。
 これによると国内避難民は減ってきているものの、栄養失調の人の割合や死亡率は上昇傾向にあり、伝染病も広がっているという。
 国連は7月にソマリア南部のバクール(Bakool)地方とシェベリ川下流(Lower Shabelle)地方が飢饉の状態にあると宣言したのに続き、8月上旬には首都モガディシオ(Mogadishu)と世界最大の国内避難民キャンプがあるアフグーィ回廊(Afgooye corridor)など3地域も飢饉の状態にあると宣言した。
 国連の定義によると、飢饉になると全体の20%以上の世帯が極度の食糧不足に陥って人口の30%以上が急性栄養失調になり、毎日1万人当たり2人が死亡する状態になる。
 国連によると、ソマリア、エチオピア、ジブチ、ケニア、ウガンダなど「アフリカの角(Horn of Africa)」と呼ばれるアフリカ大陸北東部では1240万人が過去数十年で最悪の干ばつの影響を受けて人道支援を必要としている。
 イスラム過激派組織アルシャバブ(Al Shebab)はモガディシオからは撤退したが、飢饉に襲われたソマリア南部の支配地域では依然として援助活動を制限している。(c)AFP

一方、当ブログで何度かお伝えしてきているコンゴ(DRC)の状況も以前深刻な状態である。
最近このコンゴ紛争の真相を伝えたドキュメンタリー “Crisis in the Congo -Uncovering the Truth” が発表されて話題になっている。

Crisis in the Congo

公式サイトはコチラ
私はこの中にも出てくるFriends of Congo の Kambale Musavuli 氏にインタビューしたことがある。彼は米国に難民として移住したが、コンゴを憂う気持ちは海外に住んでいるコンゴ人を一つにしていっているようだ。

このドキュメンタリーはYouTubeでも公開されており、視聴回数は30,000近くになっている。

1分強のトレーラーはこちら。日本語の字幕版も準備中らしい。

YouTubeのチャンネルはコチラ
日本語版コチラ
ソーシャルメディアの全盛を支えている立役者の一つはスマートフォンである。このスマートフォンにも多く使われている電子部品を通じて、私たち先進国にいる人間もコンゴとつながっているのだ。 “Everyone has a piece of Congo in his hand” というのはそういう意味である。

今日は今回の日本出張最後のイベントであるアカデミーヒルズでの講演がある日だった。
Dカウントも60を過ぎて、もう2ヶ月も日本にいることをしみじみと実感。

アカデミーヒルズは去年参加したMIT-EFJのビジネスプランコンテスト以来。

当日のイベントの情報

ライブラリーメンバーはリテラシーが高い方や向学心の旺盛な方が多いとのことで、少し硬めの話も追加した。CODEの著者レッシグの提唱したサイバースペース上の4つの制約条件を、私なりにソーシャルメディアの世界に転用して考えているというお話。

ソーシャルメディア上のルールとマナー

レッシグは市場、テクノロジー(コード)、規範、法律の4つの制約条件があると説明したが、ソーシャルメディアは基本的に「フリーでオープン」なものなので、市場の制約条件つまり価格は当てはまらない。

その代わりに私が重要視しているのは、リアルの世界での法律とは異なる「ルール」の存在である。
これは、例えばYouTubeに溢れる動画や、ブログに掲載されている画像を見ても分かるように、(既存の、あるいは旧時代の制約であるところの)法律には厳密にいうと抵触するが、慣習的に看過されている部分である。もちろんこれらはグレーゾーンであり、フェアユースの認められにくい日本では場合によると完全に黒なのだが、実際にそれらに対して監視が行き届かなかったり罰則が適用されにくい、しかし度を過ぎるとやはりルール違反となる。(ちなみに私はこないだの某民放局に対する電凸騒動は完全にルール違反であると思っている。あれの多くはただのいたずら電話だ)

ソーシャルメディアを利用する際には、これらのいわゆる「暗黙のルール」を理解して振る舞うことが重要である。そして、もちろん情報の受発信者同士であるユーザー間でも最低限の礼儀を尽くす必要がある。

ではこれらの「ルール」と「マナー」が守られることとどうなるか? 一言でいうとそれは議論の成熟を意味し、メディアそのものの存在意義が認知されるということになる。そうして初めて、その外側にある法律や社会に影響力をもたらすことができるのである。スポーツや格闘技は、ルールが厳しければ厳しいほど面白い。そうしてこそ、戦う者もジャッジもスキルを上げていくことができるのである。
(私見だが、格闘技の中でも最も完成された形態の一つはボクシングだと思っている。しかし、ボクシングはあまりにも制約が多いため、トップランカーといえど、異種格闘技戦だとボロボロになる。相撲も同様。しかし、それはそれで構わない)

既存のソーシャルメディアでいうと、2chの掲示板は残念ながらこの「ルール」と「マナー」が守られない場であり、よって社会的な認知は極めて低い。反対にウィキペディアはかなり厳格なルールと確固たる管理コミュニティが存在することで、ソーシャルメディアの中ではかなり熟成された議論が存在する場である。(もちろん幼稚な議論や悪戯も多いが、それはフリーである限りつきまとう問題である)今、この点で端境にあるのがツイッターだと私は思っている。日本語は英語に比べて140文字で伝達できる情報量が多いため、日本のツイッターでは余計な喧嘩も多いと感じる。これは、一般的な機能としての「情報」と「センチメント」の伝達に加えて、日本語では「コンテクスト」が伝達できてしまうからではないかと思っている。当然、それによって伝えられる内容も深まるし、逆に読み違いによるトラブルも起こってしまう。

講演風景+宣伝(笑)

講演時間は1時間、質疑応答に30分でその後は歓談と名刺交換の時間。講演後のアンケートで「もっと話が聞きたかった」という声が多かったのは嬉しい限りだ。

講演のテーマになった近著「検証 東日本大震災 そのときソーシャルメディアは何を伝えたか?」はソーシャルメディア革命に比べると立ち上がりが遅かったようだが、今回このようなイベントをたくさんもてて、あちこちでプロモーションできたので少しは挽回できたかも知れないなぁ。

講演後はディスカヴァー21のスタッフの皆さんと打ち上げ。今日の私にとっての最大のヒットは実はディスカヴァーの社長室のOさんが私と同じ高校の同じ国際科の後輩だったということを発見したことだった。世の中狭いなぁ。(参加した皆さんがやたら高学歴だったのもびっくり。私は日本の受験では見事な落伍者だから、少し気が引けたのはここだけの話 笑)

あっという間に帰国まであと4日となってしまった。明日のアカデミーヒルズでの講演が、パブリックの場では最後のイベントとなります。

ブログの更新を怠っている間にはや2週間。もちろん、その間のエントリーについてもこれからどんどんアップしていきたいと考えている。
今日は東京で過ごす最後の日曜日、午前中は物思いにふけりながら、新しく書き始めた意欲作のブレストや資料調査など。
ずばり、この本のテーマは「インターネットの誕生と資本主義の終焉」である。 ITと環境という独自の視座から、政治や経済、メディア論や宗教にいたるまでを網羅していきたいと考えている。新書はなかなか代表作になりにくいので、できたら単行本で出して、読んだ人を感動させる、そんな本にしたいなぁ、と。
どちらかというとアカデミックな本にしようと思っているので、いくつかの古典的作品(プロ倫とか空想から科学へ、資本論など)にも触れながら、環境本(とりあえずレイチェル・カーソンとゴア)、経済本(アダム・スミスや稲葉振一郎)、IT本、そして思想書や文化論なんかにも触れていこうかな、と。とりあえず資料を20冊ほど集めたが、終わる頃にはたぶん100冊くらい読むことになりそうですね(苦笑)

この本を書いていく中で、少しフォーカスを絞って学んでいきたい方たちがいます。これまであまり興味、というか接点がなかった方々。東浩紀さんや山形浩生さん、稲葉振一郎さん、レッシグ。浅田彰さんとかチョムスキーは過去にももちろん読んだことあったけど、改めて学び直しということで。宮台さんや宮崎哲弥さんあたりは、そうですね文化論の部分で触れる程度の内容に遭遇すればという感じでしょうか。渡米してから和書をまったく読まなかった時期がしばらくあったので、思想的にはどうやらがっつり空白になっている時期があるらしい。
とりあえず現在「ニッポンの思想」(佐々木敦著)を読みながら、もろもろリカバリーしているところです。でも、難しいことを難しいまま理解しようとしていた昔とは違い、「難しいことを分かりやすく」理解し説明しようとすることに主眼をおくようになっている自分を発見。どうやら大人になったようです(笑) 昔から「机上の空論」は大嫌いで、やはり現実に即していないと語るに値しない、そう思っているのですがその傾向は強くなっている様子。

そんな中、この「ニッポンの思想」で面白い箇所を発見したので紹介したいと思いました。それは浅田彰と東浩紀が対談している箇所(p.300-301)
ちょっと長いがママ転載で

浅田さんと僕とで意見がただ一つ異なるのは、浅田さんは、良いテクストはどこかにポンとあったら誰か読むだろうっていう話なんですよね。
浅田 いや、読まないかも知れない。それは仕方がないでしょう。
読まなかったら、事後的に見ると単に消えたものですよ。
浅田 消えても仕方がないでしょう。
それはある種のニヒリズムなのであって、書きたい僕としてはそういう立場を取るわけにはいかないですよ。
浅田 僕はニヒリストであると自認するけど、誠実にやろうと思ったら、まじめに書いて、後は海に流すしかないと思いますね。
だから、僕はまじめに書いてますよ。
浅田 だから、それでいいじゃない?
僕はそうしているわけです。それで、プラス・アルファのこともやっている。それで誤配可能性が高まるんだったらいいじゃないですか。
「いま批評の場所はどこにあるのか」

「誰もいない森で木が倒れたら、その音はしたのかしなかったのか?」という禅問答を彷彿とさせる内容だ。佐々木氏はこれについて両者に齟齬があると書いているが、これを齟齬とみなすのかどうかについては意見が分かれそうな気がする。むしろ齟齬になっているのは「良いテクスト」の部分である。浅田氏がいう「良いテクスト」は人に読まれる文章であり、東氏の「書きたい」コンテンツは必ずしも「良いテクスト」ではないかも知れない。が、ソーシャル時代にあって、良いテクストをネット上に配信したら、勝手に耳目を集めるという見方もできるし、その効果を最大化するには配置する場所をしっかり考える(誤配可能性が高まる)という工夫も必要になるという考えも正しい。

とあるウィキペディアの管理者と話した時に、実はコミュニティは「ウィキペディア」自体が何らかの形で「持続可能な発展」を遂げることができず、不慮に閉鎖されてしまうということも想定しているという風にお伺いした。年々増大する一方のコンテンツを支えるためには、相応の予算が必要であり、完全に寄付で賄われているウィキペディア(あるいはウィキメディア財団のプロジェクト全て)が必要な金額を集めることができずに「倒産」に追いやられるということも十分に考えうるわけだ。そしたらコンテンツはどうなるのか?
この管理者の方いわく、だからこそ「フリー」であることに意義があるのだという。つまりネットの住人がその気になれば、「自分たちのリスクで」それらのコンテンツを保護することができるということだ。(すでにWeblioのように自動でウィキペディアのコンテンツをコピーするようなサービスも存在している) しかし、存在意義がない、つまりパトロンを見つけられなかった記事については消えてしまうかも分からないし、コンテンツが改編されていくかも知れない。考えるべきは時間軸で、例えばウィキペディアが1週間後に消滅するから、コピーしてくれ、とお願いするのと、24時間以内に!というのでは対処できる人間も必要なリソースも変わってくる。ツイッターのようなソーシャルメディアツールの素晴らしいところはリアルタイムの情報拡散性である。

ソーシャルメディアはもっともっと掘り下げて研究されるべきテーマであるし、その文化的な意義についても理解したいと考える読者が増えていってくれることを願っている。
などというメッセージを今日も瓶に詰めて、ウェブの大海に放り投げてみる次第である。

アンチが見た資本主義

面白い画像をウィキペディアで発見。

資本主義についての本を書こうとしていて気づいた発見だが、実は資本主義なんて共産主義のような哲学をもってたわけじゃないんだろうな。
70年代以降の環境意識と人権意識の高まり、そしてインターネットの進歩が40年かけて資本主義の次のフレームワークを人類に模索させることになったのだろう。
国家という枠を超えた「共存主義」のようなものに移行するのだろうか。徹底的に考えてみたくなった今日この頃。

今さらだが、資本主義について一番明確で有名な定義をしたのは実はマルクスだったというのは何とも逆説っぽいな。

いよいよ今晩です。今朝は部屋を出るときすごい大雨でびっくりして思わずツイートしたが、どうやら局地的なものだったらしい。
さすがにあの大雨では客足が心配である。

ジョン・キム×立入勝義スペシャルトーク 「ソーシャルメディアの今とこれから」

まだ空席あるようですので、お申し込みされていない方はぜひ!

先日のワールドカップ女子代表戦ではなでしこジャパンが大活躍して見事金メダルに輝いたのだが、その裏ではコパアメリカという南米大陸の大会があり、古豪のウルグアイが優勝しました。前回のワールドカップでもそうでしたが、決勝に残ったウルグアイとパラグアイは躍進が目覚しいですね。といっても、私はサッカーにそれほど詳しいわけではないので、語るのは専門家に譲るとして。。。(コパの観戦記はコチラとか)

そのコパアメリカでは苦渋をなめた開催国アルゼンチンのスーパーヒーローと言えば、リオネル・メッシ選手です。しかも24歳とまだ若いし、かっこいい。サッカー界でも(異論はあろうが)実力ナンバー1、最も稼ぐ男としても知られ、10を超える公式スポンサーが世界中でついている。スポーツ界全体で見ても、上位だそうだ。また、メッシ選手はお父さんと一緒に財団も運営していて、アルゼンチンの国民的英雄だそうです。

このメッシ選手、もちろん母国語はスペイン語なのだが、何故か日本語と中国語だけ公式のブログというものが存在します。
リオネル・メッシ公式ブログ
この公式ブログを管理しているのが、ファンルーツというサッカー関連の事業を運営している会社で、代表の今井健策さんは昔はプロサッカー選手も目指していたこともある大のサッカーファン。実は私が通ってたアメリカのカレッジの後輩でもあります。
今井さんは過去にアルゼンチンに滞在していた経験がありスペイン語が堪能。お話をお伺いすると、過去のいろんな経緯があって、メッシ選手とは揺るぎない信頼関係を築かれたようです。

ファンルーツ代表の今井健策氏

実はこのブログ、現在7月から携帯専用となり、もうすぐiPhoneなどのスマートフォンにも対応するようになるそうです。彼のもとには、ファン垂涎の情報、例えば現在某所でバケーション中のメッシ選手からのプライベートなメッセージなどが届き、それを今井さんが翻訳してブログに投稿。更新頻度は週に2度ほど。
収益はほぼ全て財団に還元されているそうです。

英語やスペイン語でこれをやってしまうと、海外のメディアの仕事を奪ってしまうから、という理由でブログがメジャー言語でできないというほどすごい人気のメッシ。そんなメッシ選手のプレゼンスを高める位置に若き日本人がいることは大変誇り高いことだと思います。今後ともメッシ選手と今井さんの活躍を心より願います。

意力は世界の舞台で活躍する日本人を応援します!

思えば、私は昔から人と話をするのが大好きで、小学校時代から「おしゃべり」で有名だった。ただでさえコミュニケーションの活発な大阪でおしゃべりなんだから、とんでもない情報量が頭の中をめまぐるしく駆け巡っていたのだろう。そして、旅をするのも大好きだった。中学校では京都に自転車 (!) でよく出かけたし、高校時代は九州を自転車で縦断したり、能登半島を歩いて回ったり、そして極めつけは私の人生を変えたアメリカへのバックパッカー旅行であり、旅行ではないがボランティアでエチオピアに三ヶ月滞在したのも素晴らしい思い出として記憶されている。

「月日は百代の過客にして、行きこふ年も又旅人なり」 と詠んだのは芭蕉で、元になったのは李白の「夫天地者万物之逆旅也、光陰者百代之過客也、而浮生若夢」という漢詩とされるが、人生は旅であり、一期一会の出会いこそ素晴らしい。若い時に旅をして、見知らぬ人と出会う喜びに触れたことが、世界中の魅力ある人々と出会いたいと思う心につながったことは偶然ではあるまい。なんていうまどろっこしい前振りをしている私はまだ36歳、人生これからである。

さて、そんな人生にはタイミングというものがあり、それを逃さないためには周囲からサインを読み取ることだと思っている。これをセレンディピティと呼ぶ人もいる。
昨日私がお世話になっている仲間から連絡を頂いたことがきっかけで急遽今日の午後名古屋に行くことになった。アメリカからたまたま日本を訪れているジョン・ミルズ氏という方にお会いするためだ。こういうタイミングを逃してはいけないことは、過去の体験から痛いほど分かっているつもりである。

このミルズさん、実はすごい人である。
何がすごいってアメリカを代表する名門ハーバード大学のAsian Relationを統括している方なのだ。つまり、アジアの国々の政府や企業がハーバードと何かをしようと思ったら、まずは彼に話をしないといけない、ということだ。そんなことだから、彼の人脈たるや素晴らしいものがある。私が驚いたのは、先週サムスン電子のCEOであるイ・ジェヨン氏と会ってきた話について。内容はあまり話せないが、イ・ジェヨン氏といえば、韓国を代表するサムスンの代表イ・ゴンヒ会長の一人息子で、名実共に次期後継者である。(ちなみに韓国の長者番付3位で、1位は彼のお父さんだから、とにかくすごい 笑)
しかも夫人が日本人で、日本語が超うまい。打ち合わせがすべて日本語で行われたほどだ。
東野圭吾の話を少ししたら、どうやら「白夜行」の映画も観られたらしい(笑)

With Jon D. Mills from Harvard Univ.

ちょっとしたプロジェクトの話をしながら1時間半ほどの歓談だったが、非常に楽しい出会いだった。また何かご報告できることがあれば、当意力ブログでご報告したい。

日本の長期滞在ももうすぐ30日というこの日、
E-Book 2.0研究講座 (第8回)のゲスト・スピーカー&パネリストとして参加してきた。
会場は青山一丁目駅程近くの会議室コネクト北青山EAST。台風で開催前はすごい雨だったが、それにも関わらずお越し頂けた参加者の皆様に感謝。

講演内容 (スピーカー)
「コミュニティメディアから世界へ-雑誌ビジネスモデルの再構築に向けて-」
・雑誌の資産/機能の継承をめざすビジネスモデル
・無償コンテンツとソーシャルメディア (小笠原 治 MEDIVERSE 代表理事)
アメリカの出版メディアの歴史についても言及する小笠原氏
まずは「デジタルリーディング」の習慣化を、というメッセージが印象的だった。

「欧米で拡大する無償コンテンツと関連ビジネス」
・拡大する無償コンテンツの実態
・無償コンテンツとソーシャルネットワーキング (鎌田 博樹 EBook2.0 Forum編集長)
無償コンテンツの例と意義について説明する鎌田氏

パネル討論「出版マーケティングとして見た無償コンテンツとソーシャルメディア」
・Web時代の雑誌生き残りへの課題
・無償コンテンツは雑誌を活性化できるか?
・ソーシャルネットワーキングから雑誌のビジネスモデルは生まれるか (立入 勝義 『ソーシャルメディア革命』『電子出版の未来図』著者)
出版をソーシャル化する

パネルディスカッションの様子

小笠原 治(MEDIVERSE 代表理事) モデレーター:鎌田 博樹

パネルディスカッションの前に、15分ほどで簡単なプレゼンをさせて頂いた。内容は「電子出版を社会化する」。
実はその前に行われた小笠原氏のプレゼンの内容が素晴らしく、ソーシャルメディアとアメリカの実情、出版と電子出版市場の趨勢などが見事にまとまっていたので、内容を若干変更して、ウィキペディアの説明に時間を費やした。というのも、ソーシャルメディアと電子出版という観点では、ウィキペディアが世界で最も進んだ媒体であり、それを学ぶことで見えてくる課題や可能性などがたくさんあるからだ。もちろん収益構造という観点ではウィキペディアは広告収益がなく、寄付のみに依存しているのだが、編集方針、フォーマット、ソーシャル化、持続可能な発展に向けて、など多くの課題を共有して、日本だけでなく世界のウィキペディア(あるいはウィキメディア)コミュニティで10年を超える建設的な議論と編纂活動がなされている。まさにウィキペディアを学べば、ソーシャルメディアと電子出版の未来が見えてくるのである。(筆者の講演についてのコメントを小笠原氏がブログで掲載されているのでよろしければそちらもご一読頂きたい)

ちなみに、日本の電子出版市場はいよいよ来年くらいからは本格化するのではないかという気がしている。やはりカギはキラーコンテンツ。私が学生の頃本多勝一氏らの手で「週刊金曜日」が創刊されて話題になったが、あれくらい話題になる電子雑誌がまずでてくるかどうかというのが日本では分水嶺になりそうな気がしている。というのも、日本でのタブレットの普及は目を見張るほどであり、WiMaxの利便性と共に、スマホ&タブレットのユビキタス環境が実現しつつあるのが見えるからだ。

私は常々日本のWiFiホットスポットの不便なのがネット社会の弊害だと思っていたが、WiMaxを含めた「どこでもWiFi系」のサービスが充実してきているのを見るにつけ、逆にアメリカよりも大きなポテンシャルがあるような気がしてきた。(もちろん国土面積の違いが大きい) 購読性で成り立つビビッドな電子雑誌は果たして二年以内に出てくるのか、そこに注目していきたい。そして、できたらそのコンテンツは世界にも通用するものであって欲しいなぁ。

電子出版→ソーシャルメディア→ネット選挙 の波がじわじわ近付いているのを感じる。何度も言うが、検証すべきカギはウィキペディアである。

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