Archive for the 「 言霊 」 Category

出版社からの連絡では、明日に書店に届くとのことで、一日ずれる場合があるかも知れませんが。。。
前回の例を考えると、恐らく明日から並ぶところも多いのでは。

ということでいよいよ新刊が発売されます。前著「ソーシャルメディア革命」に比べるとかなり絵や図が多く、読みやすくなっていると思います。ページ数も少なくなって持ち運び易く。(携書の名のとおり)

目印はこのパネル↓!?
東日本大震災パネル

どうぞよろしくお願いします。

全国有名書店にて! オンライン予約希望の方はコチラにて↓ 「いいね」もよろしくお願いします(笑)

アイルランドに住む友人が紹介してくれたビデオ。

イギリスではスーザン・ボイルが話題になりましたが、韓国ではこちら。
とにかく見てください!(英語字幕あり)

いよいよ15日に発売!ソーシャルメディアの進化を語る

書評 東野圭吾『秘密』

久しぶりにグーグル解析の数値を見ると、5月度のアクセスはワースト。。。ひたすら反省しつつペースアップしていきます。

さて、ただいま執筆の肥やしにするために、東野圭吾作品イッキ読みシリーズを開催していることはツイッターでフォロー(@tachiiri)頂けている方々ならご存知のことだと思います。緊急出版本の執筆、日本への2回への出張などで、こちらも少し滞っておりましたが、また再開いたしました。
早速昨日はだいぶ前の「11文字の殺人」と表題の「秘密」を読みました。

(時期的に)渡米した関係もあり、私は遅まきの東野圭吾ファンで、その理由の一つが東野先生が、梁石日先生と同じように同郷の(先輩)作家だということがあります。
在日僑胞が日本一多い大阪市生野区という街で育ったこの二人の大作家には共通のテーマがあります。
それはずばり「アイデンティティ」。
同じ場所で生まれ、同じ言語を介し、見た目には大して違いがないにも関わらず、「国籍」という根幹的な違いをもった友達が同じ学校にたくさんいる、という環境で育つと、自然と「アイデンティティ」とは何なんだろう、とか宿命の数奇さ、運命の残酷さなどを感じて育つようになります。そういう意味での「二つの視点」をこの二人の作家の作品には共通して見ることができます。

しかし、「血と骨」や「闇の子供たち」(最後のシーン)で一貫してそのメッセージを強烈に読者に向けて発信していく梁石日に対し、東野圭吾は直接的にそういうメッセージを発信するというよりは、作品の主題としてじわじわ読者にそれを実感させるという手法を取ることが多いのです。実際に、「悪意」はそれを主題にして書かれた小説だと(少なくとも)私は思いますが、読者の多くはそういう理解ができないかも知れません。梁石日にしても東野圭吾にしても、文学としての作品を読むだけではなく、エッセイ集を読むことで彼らが生まれ育った環境を学ぶことができ、日本の中でもかなり特殊な「生野(旧:猪飼野)」という場所について学ぶことで作品をより深く理解ができる、そういうわけです。ですので、両作家のファンの皆さんには、この何とも風変わりな街をぜひとも訪れて頂き、歴史を学んで頂きたいと思います。あなたが、どちらの「国籍」(あるいはそれ以外の国籍)を有していたとしても、学べることは多いはずです。この街には自然と両者が共存しているのですが、その背後に葛藤がないかというとそうではありません。そして、両側の視点はやはり異なるのです。

さて、肝心の書評について。
11文字の殺人も、「そして誰もいなくなった」調で面白かったですが、人気作の「秘密」はいわゆる(探偵ものや刑事ものなどの)本格推理ミステリーではないものの、独特の世界観で最後まで読みごたえたっぷりの作品でした。

主人公の妻・直子と小学5年生の娘藻奈美の二人が乗っていたバスが交通事故にあい、妻は死んでしまう。意識不明の娘が意識を取り戻した際には、実は妻の意識がその身体に宿っていた。。。

俗に東野圭吾「変身三部作」と称されるのは「変身」(91年)・「分身」(93年)・「パラレルワールド・ラブストーリー」(95年)で、現時点では「分身」はまだ読めていません。
この「秘密」は三部作の後の98年に発表されている。つまり、変身シリーズには四作目があったということですが、この変身シリーズには先に述べた「アイデンティティ」に加え、もう一つの東野作品の大テーマである「家族愛」も盛り込まれています。(先日「赤い指」についてもコメントしたばかりですが、こちらは年老いた母親との物語でした)

私は往年のアガサ・クリスティファンで、娘にもアガサと名付けたほどですが、東野作品においては実はいわゆる本格推理ものよりも、上記のテーマについて書かれたもののほうにより強いドラマ性を感じます。推理ものの読後感より、「アイデンティティ」や「家族愛」について書かれたもののほうにより深い読後感を得ますし、「あの頃ぼくらはアホでした」みたいなエッセイや「名探偵の掟」みたいにコミカルな作品に爽快感を感じます。もちろん、これは人様々で氏の代表作である「ガリレオ」シリーズをこよなく愛する方もいらっしゃるでしょう。東野作品に共通するのは、「サスペンス」性であり、そのどんでん返しと息をつかせない展開にあります。なので、彼の作品に慣れてくると、残りのページ数を気にしながら、どんでん返しが起こるクライマックスに向けて少しずつ心の準備をしてしまう自分がいます。

本作は、そういう展開になれた読者にとっても、なかなか展開が読みにくい作品の一つではないでしょうか。読み始めた途端、その特殊なストーリー性に引きこまれるものの、「一体何を描きたいんだろう?」という点でクエスチョンマークが残り続けます。それが中盤にかけて「アイデンティティ」と「家族愛」のテーマが急に深みを増すようになり、後半あっという間に急展開した話ではもう本を置くことはできなくなっています。そして、何とも深いエンディング。

かつて東野先生は「女性視点を描くのが苦手」であると語ったことがあります。これは、自身が男性であるからで、何とも正直な発言ではないですか。(ちなみに「11文字の殺人」の語りは女性一人称で、これは珍しいパターンです)逆に、男性からすると本作品では共感できる部分も多く、娘の身体をもった「妻」との性欲に対する葛藤などは何ともやるせない気持ちが募ってきます。(私には妻はもちろん4人の娘がいますので、共感する度合いが普通の人より強いのはいうまでもないでしょう)

ということで、今回はネタバレにならない程度の書評でまとめたかったので、このあたりにしたいと思います。オススメの一作です。個人的にはこの本を読んだ女性の観点もお伺いしたいものですね。私が読んだ文庫本では最後に映画版「秘密」で初主演をこなした広末涼子のコメントがついているのですが、彼女はお母さんと同作品について話をして、感動した点が同じだったとか。男性同士でも恐らく、既婚者か、娘がいるか、などで若干の違いはでるものの、恐らく同じような点に感銘を受けるのではないでしょうか。果たして、それは男女でどう違うか。
私的には直子の「動機」の部分での意見で大きく意見が分かれるような気がしているのですが。。。これ以上は読者のみで、ということで(笑) お読みになられた東野ファンとお会いして、同作品について語れる日を楽しみにしています。

最後に
もしも最愛の人を失ったらどうなるか、この点については性別を問わないですよね。それを考えさせられます。
実は現在、渡米のきっかけをつくってくださった、とても大事な恩人が末期ガンで生命を失いつつあります。奥さんと4人の幼い子供を残して。。。
そんな時期に読んだだけに、生命の尊厳と人生の価値についてぐっとくるものがあったわけです。

(*表題を「教える」から「伝える」に変更しました。誰に指摘された訳でもないのですが、こちらの方がいいかと)

先日の投稿以来、慈善行為についての考えが私の頭の中を渦巻いている。欧米はキリスト教の精神に基づきチャリティが盛んである。何しろ長者番付のトップ連中が財産の半分を寄付していったりするくらいだからだ。一方、日本では今回のユニクロ柳井氏の10億円寄付のような大きなものは滅多に現れない。
2007年にまだ「ソーシャル」という言葉が無かった頃から、Charity Globeというオンラインのソーシャル型の募金活動サイトをメイン活動としたNPOを立ち上げた私は、残念ながらその後力がなくて、まともに稼動させることができないままここまできてしまったのを今、本当に悔やんでいる。本来ならば、こういう時にこそ本領を発揮することだからだ。では、チャリティグローブのコンセプトは何だったか?それは「寄付者(ドナー)」、「受益者(レシピエント)」、「サポーター」が一体となって、それぞれのCauseをサポートする活動だった。そのためにYouTubeなどのソーシャルツールを使う。TwitterもFacebookもまだ当時は発達していなかったので、YouTubeがメインの舞台となる予定だった。アメリカのオンラインチャリティ市場は一説によると7000億円とも言われており、これはアメリカのポテトチップスとポップコーンの市場を足したものらしい。(寄付全体は20兆円レベルで日本の予算の何分の一だ、とかいう記事もあった)

ここで、日本はもう一度慈善行為について考えてみるべきだ。その良い部分と見えない部分の両方を含めて。

私が「感情的になっている」ということで、いくつかお叱りのコメントを頂いた。ここではっきり言っておくと私は今

かなり感情的になっている」。

これは疑う余地もない。さらに、それは被害が続く限り続くだろう、ADHDの特性でもある。前にも書いたが、中学生の時に大阪市旭区のアウシュビッツ展や731部隊展で、人類の歴史の悲惨さに気づき、それから世界史を学び、言語を学び、様々なチャリティに参加し、そしてアフリカにも住み、今はコンゴの救済支援をしている。

何故か?
それは、ADHDもあるが極貧ともいえる幼少期の貧しい育ちの中で、他の地域にいる哀れな人たちと共感する心のレセプターのようなものができたからだと思っている。そして、私の場合それを芸術(文学)と宗教的倫理観(母がとにかく「世のため人のために生きろ」と言って育ててくれた)に基づいている。高校生の卒業文集に「外交官になって、その後国連で働いてアフリカを緑化する!」と高らかに宣言したのは、本当に当時はそれ以外にやりたいことなんてなかったからだ。

では、自分が愛する母国にそんな危機が起こったらどうなるのか? 当然居ても立ってもいられなくなるのである。そうでなかったら、私のこれまでの情熱も全部嘘だろう。愛する者や接点の多い人間に対する悲しみのほうが当然大きいのだ。
自分の家族が、とか友人が、とかそんなレベルではない。(幸い私の身近の人は皆無事だ)そんなレベルではないのだ。それを証拠に、地震が発生してから、まったく平和なこのロサンゼルスにいるのにも関わらず、普段の仕事がほとんど手についていない。最近は主にツイッターで日本の方とエンゲージをして、激励しつつ、こちらで何か助けになれないかと、メディアをあちこち尋ねて回っている。募金場所にも向かって取材をしている。それで、お金になるかというと、まったくならない。そんなことは分かっている。

そして、今感情的になることが悪いことなのか?と自問するのである。答えは「否」。
私の周囲にだって、驚くことに日本人ですら、冷めた対応を取る方達がいる。そういう人間と私は精神的に大きなギャップを感じ始めている。しかし、彼らには彼らの、そして私には私の生活がある。そして、やみくもに平和な街に不安を「拡散」させる必要もない。何しろ、ここアメリカですらようやく未曾有の普及から復活し始めているところなのだから。そんなことは言われなくても分かっている。しかし、やるせない気持ちは募るばかりだ。日本大使館は在米邦人について4月1日までの渡航規制を回文し始めたと聞く。

ここで、九州在住(IPアドレスでも確認が取れました)のKさんのコメントを紹介しながら、私の論点をご説明しよう。今回の一連のアメリカメディアの「日本を支援するな」の動きは、典型的なアメリカの悪しき部分のそれである。一理ある、とかそういうことではない。これを説明しながら、私が「どの部分」に感情的になっているか、をご説明したい。

ちなみに、Kとしか名乗らない彼の最初のコメントは
「正論ですね。うぃるさんは経済の勉強をしたほうが良いかと思いますよ。」
だった。。。

 続きはコチラ

あんまり普段ネットの炎上騒ぎとかには触れないようにしてるんですが、先日Twitter経由で質問を頂いたのを皮切りに、ちょっとだけ注意を払っています。
もともと私はツイッターがあまり好きじゃなく、それは日本で流行りだしてまもなく、レベルの低い議論や、難癖をつける人たちを見て辟易としたからです。
多くの場合は匿名での攻撃となっており、相手はかなり有名な方だったりするのでそもそもフェアじゃない。

で、最近ではツイッター内の有名人も増えてきたので、実名(じゃなくてもリアル性のある人)VS実名の対決も増えてきた、と。

興味深く読んだのは、@TSUDAさんのツイートで発見した下記の炎上騒ぎ

「francesco3氏」と「めがねおう氏」の炎上ツイートまとめ

何ともむごいですが、最初の論点とまったく違うところの話になっています。私がどちらの味方をするかは言うまでもないですが、「取材対象に敬意を払うのがプロ」という主張に、なんでそこまでムキになるんでしょうか。

こちらには続きがあります。違うメディアに波及したようで。
「francesco3氏」と「そらの氏」の炎上ダダ漏れ その後 まとめ

少しポイントを整理しましょう。
まずはネチケットからです。ツイッターに関するマナーについては、渡辺由佳里さんの著書ゆるく、自由に、そして有意義に ストレスフリー ツイッター術で学べます。社会人としてのマナーがあればいいだけだと思うのですが、社会人というよりは、人としての、というのが正しいかも知れません。

人間同士意見が異なるのは当然ですが、やり取りするにはお互いに敬意が必要です。(もちろん感情的になるのはよくあることで、私も気が短いので、よく分かります。)

ここで何ができるのかを考えてみました。その結果、一つ分かりやすい例を挙げて、「日本人が議論下手」と言われる理由について、私なりの説明をしてみたいと思います。半分個人攻撃になってしまうのですが、この際仕方ないと思いました。あくまでも、「ボタンの掛け違いのやり取りの例」だと思ってください。発言者さんに悪気があるわけではなく、日本ではしょっちゅう起こっていることだと思います。英語を勉強すると、特に、日本人特有の議論の「論理性のなさ」に気付かされることがあります。そして、そこを強化しないと論理的な英語を駆使できるようにはならないのです。英語を学んだ人は日本語まで変わると言われますが、それは脳内で大きな変化が起きるからです。

ここでの例はYahoo!の知恵袋に挙げられたとある質問についてです。質問の内容は同じなのですが、二つ別々の質問が挙げられており、それぞれ全く異なる回答がベストアンサーになっています。

質問は
「私は作家東野圭吾で、先生にファンレターを出したいので、どうやって出したらいいか教えてください。」
というものです。気持ちはよく分かります。

では回答です

回答1 悪い例

真面目に言わさせてもらうと、東野圭吾を芸能人・タレントのカテゴリに分類させてある時点で終わってる。
彼は小説家であって芸能人では無い。ファンを名乗るんならそこらへんからしっかりさせろ。

好きな作品は?容疑者Xとか手紙とかだけなんて言わないでちょうだいね。そんなミーハー心だけでファンレター送った所で(しかも返信用付き!笑)迷惑がられるだけだから。

でも、あなたがミステリーに夢中になることは凄く嬉しいこと。島田荘司や真保裕一なんてオススメですよ!是非本屋で見つけたら手に取ってみてください!

ひどいです。ひどすぎます。正直いって、この人はただ他の作家の宣伝がしたかっただけかも知れませんが、名前が挙がってる二人の作家さんの評判を損なうような事態にまでつながりかねません。

何がひどいのか?

1. 質問に答えていない
2. マナーが悪い
3. 関係ないことを答えている

いたって自己中心的であり、助けを求めている人に手を差し延べている姿勢はまったく感じられません。
これが回答になるのは仕方ないですが、ベストアンサーに選ばれるというのは、はっきりいって冗談以外の何者でもないです。

では、良い例はどうでしょうか。

回答2 良い例

出せますよ。出版社にお送りください。いろいろな出版社で発行されている場合、発行している出版社であれば、どこに出しても、作者へ送ってもらえます。

確実に届くのは、一番新しい本が出た出版社のその文庫(文庫本の場合)の編集部宛に出すのが無難です。
たとえば、講談社文庫であれば、〒112-8001東京都文京区音羽二丁目12番21号 講談社文庫編集部 東野圭吾様
などで届きます。

参考になれば。

なお、出版社住所は、後書きなどの後のページに書かれています。
また、ちょっと特殊ですが、以下のサイトからも、送れます。

http://www.bunshun.co.jp/galileo/message/

最後に基本的な事ですが、出版社を経由しないファンレターの出し方は、原則としてありません。作家などのプライバシー保護の観点と押しかけたりする人を防ぐためです。
まぁ、どういう書き方でも届きますよ。(そもそも、ファンレターであることくらい編集部が気づくでしょうし。)

いたって丁寧で、具体的な説明がしてあります。口調も丁寧です。

私はZEN ENGLISHという英語教育の連載で、英語の会話はキャッチボールである、何度も話しています。多くの人はそれを聞いて、何も新しいものじゃないと思うようですが、そういう人の大半は私が言ってることの理解ができてないと思います。何故なら、日本語のコミュニケーションはキャッチボールじゃなくとも成り立つものがかなり多いからです。相手の言ってることを細かく聞いてなくとも、何となくとかあ・うんの呼吸、あるいは行間を読むことで会話が成立してしまう、これが日本語のコミュニケーションです。良いとか悪いじゃありません。その性質を理解することが重要です。何故なら他の言語とは全く異なるかも知れないからです。 だから「日本の常識は世界の非常識」とか言われるわけです。でも、それもみんな聞き慣れちゃってて、その内耳に入らなくなっていきます。つまり日本人は全体的に「麻痺」してしまっている感覚があると思うんですね。世界の喜びや痛みに共感できなくなってきている、共通項探しがコミュニケーションの大前提だと以前も書きましたが、それができないのでコミュニケーションなんてできる訳がない。

そして、共通項を探すための最初のステップがリスニングです。相手の言う事を聞く行為です。
私はよく関西人は英語が得意な人が多く、グローバルスタンダードに近いと言いますが、それはあながち冗談ではありません。笑いの文化が成熟している関西の地では、みんなが笑いを取ろうと思って、ボケたり突っ込んだりするチャンスを常に伺ってます。つまり、笑わせ上手は聞き上手なわけです。だから、漫談の文化はどちらかという関西には根付かず、漫才やコントが流行ったわけです。

ちょっと感性的なエントリーになりましたが、日本でソーシャルメディアが成熟するために、この意識革命は何とかして通過しないといけないと思っているので、このテーマでは事あるごとに投稿したいと思っています。


日本で起こるべきソーシャルメディア革命の姿とは。。。

著書の購読を通じて、ブログに起こし頂いたAkikoさんから大変すばらしいコメントを頂いたので、下記に全文をママ転載いたします。(見やすくするための改行はこちらで行いました)
ソーシャルメディアの革命は、まずはみんなの心のなかに起こるものなのかも知れません。
読む前に、この内容に関してご本人を傷つけるような発言や行動を直接しないと約束してください。(弱い者いじめは大嫌いです)
名前を晒してこういう発言をすることがどれだけ難しく勇気を必要とすることなのかを考えて、感じてみてください。
代わりに、コメントは私が受け付けます。

(以下コメント全文)
こんにちは、立入様、大前晶子です。twitterではいつもお世話になっております。
立入様の幼少の頃の生い立ちについて激白されておられましたので、私もすこしばかり・・・。私は香川の引田町という小さな田舎町に生まれました。母親は私が2歳のときに蒸発し、以来顔を見たこともありません。父親は指定暴力団員でした。祖母はそのようなことにかかわらせたくないという思いから私たち姉妹を養女としてひきうけました。祖父は韓国人です。一生を祖母とそいとげましたが、祖母は生涯、祖父を自分の戸籍にはいれませんでした。好きだったにもかかわらず、いつも‘韓国人は、韓国人は’と文句をいっておりました。奇妙な関係です。祖父の名は金斗石と申し、55歳を超えた時やっと日本名、鳥飼正治とかかれた健康保険証をうけとりました。あまり喜びをあらわにしない人でしたが、その時ばかりは本当にうれしそうでした。
祖母の二人の息子は破産したり生活保護をもらったりで、昨年祖母が亡くなった時も何もすることができず、私と妹そしていとこの三人で葬儀をとりおこないました。

私は子供の頃、祖父が韓国人であること父が暴力団員であることはだれにも言うなと言われていました。また大人になり付き合った人にうちあけたときもどうしようもない反応ばかりでした。しかしこれもおかしな話ですが、私は祖父が韓国人であることを誇りに思っていましたし、暴力団であるのに父を誇りたかったのです。祖父の血の影響か、私は愛国心の少ないものでした。いつも海外に目が向いていました。ですが私には海外に行くという選択をしませんでした。経済面もそうですが祖母をどうしても幸せにしてあげたかったのです。祖母の唯一の願いは家族皆が仲良く一緒に暮らせること、ただそれだけでしたので私は最終的に6 年前に田舎に帰り、最後まで祖母といっしょにいました。中学の時から何度も生死の淵をさまよっては復活するという人でしたので私たち姉妹は唯一の頼みの綱をなくすおそれにずっととらわれ続けてきました。そこで私はこういう恐れにとらわれないようにとクリスチャンの道を選びました。以上がかるい生い立ちです。

ところでレスが少なかったとありましたが、私はそうは思いません。立入様の真摯な言葉には同じく真摯にレスをするために少しの時間を要しているということだと思いますのでこれからではないでしょうか。
さて、最初の英語教育に付いてですが、私は数年、この田舎で塾の講師や家庭教師をやっており、気付いたことを述べさせていただきます。私が教えている皆は言葉は悪いですが非常に学力の低い子供たちばかりです。皆必死で目の前にある課題や宿題を処理しようとしていますが自発的に興味をもって解決する意識が皆無です。しかもその親たちも同じく質より量を要求します。2時間の授業で5教科をまんべんなくしてくれ、宿題をもっともっとだしてくれ、という具合です。家庭教師を雇うので少しは裕福かと思えばそうでもありません。子供が塾の皆とうまくいかないからというのです。家事手伝いをしている様子もありません。家は非常に汚いのです。トイレは恐ろしく汚いです。基本的な教育がどうも今の日本ではなにやら昔と違うような気がします。
また、英語教育というより、海外に興味を持っている子供がいません。私たちの世代の方がましだったように思います。これはやはり、身近にいる外国人が少ないことと、彼らが広い意味で地域の中で活躍できないことが原因だと思います。せっかく海外の方が近くにいても、日本人がその方達の行動を制限しているのです。

こんな田舎ですが多くの中国人、韓国人が労働者としてここに来て安い賃金で働いています。私の前に働いていた会社では派遣された中国人の女の子が他の会社の中国人の男の子と外で話をしていたというだけで、市営住宅の風紀が乱れるとのクレームを受け故郷に返されました。泣きながら車に乗った姿が目に焼き付いています。また、団体行動を強いているため、横断歩道の渡り方まで厳しく指導する始末です。私の中は大きなクエスチョンマークと怒りがいっぱいでした。彼らから何かを学ぼうという姿勢がなかった上、自分たちのやり方ばかりを押しつけます。しかしこれは何も外国人に対してのみおこっていることではありません。多様化を認めない日本人の姿勢はもともと日本人自身に対しての姿勢であり、それが今は外国人に対して顕著に顕れているにすぎないと私は思っています。日本人論的なクリシェな意見で私の意見にはならないでしょうが、やはり現状は相も変わらず昔のまま維持されています。
また教科書にも問題があるのも確かです。事実の羅列に過ぎない歴史教科書ですが非常に危険な面をはらんでいます。第二次世界大戦については軽くふれられるだけにとどまり、私たちが行ったことをあまりにも軽く書きすぎています。南京大虐殺の言葉は出てきますが子供たちが覚えるのは名前だけにとどまります。反日プロパガンダについていえば、彼らが訴えているのは歴史の事実です。彼らの目が見た歴史上の事実です。私達がそれをきちんと教育することが、いったい今の日本にどのような害を与えると言うのでしょうか。何を隠そうと言うのでしょう。それを隠せば日本が良くなるとでも本気で考えているのでしょうか。‘こういう見方もある、ああいう見方もある’と言うことを教えることが一体誰を脅かすと言うのでしょうか?

国の為に戦死した兵士たちの威厳を守るため、国の尊厳を守るため、戦後すぐには、あまり公にしてはならない出来事ではあったかもしれません。終戦になったからといって、はいそうですかと考え方まで変えることは到底できなかったと思います。そのため当時にこのような事実がふせられたことは仕方がなかったことかもしれません。問題はそこからはじまっていますが、しかし、本当の問題は、それが今でも正しと思っている人間が日本にいるということです。もしくは、どちらでもいいと思っている人がいると言うことです。また、良くないと思っていても自分の問題と捉えていない人がほぼ全員だと言うことです。

>あなたの周りで、日本語を話す中国系や韓国系の方々をこれまで何人くらい見ましたか?
最初は話すことはできませんが彼らは必死に勉強しています。そして必ず話せるようになって故郷に帰ってゆきます。

>では、あなたの周りで中国語や韓国語を駆使してネイティブと対等にコミュニケーションをとっている日本人をこれまで何人くらい見ましたか?
いません。ちなみに私の祖父は7歳の時に日本に来て以来日本語のみで生活していました。私が子供の時祖父が国際電話で韓国語を話しているのを聞いて私はすごいと思い尋ねました。‘なんでしゃべれるん?すごい、韓国語しっとん?’‘わからんけど、韓国に行って何日かしたらしゃべれるようになった’・・・おそらく子供の時に聞いた両親の韓国語の影響もあったのでしょう。しかし祖父はそれをまったく自慢しようとせず、逆に隠しておきたいようにも見えました。私は祖父から韓国語を習いたい気持ちをぐっとおさえました。

>では、あなたの周りで、英語を駆使して世界と対等に渡り合うコミュニケーションをとっている日本人の名前を何人挙げられますか?
皆はげしくへたくそですが毎日英語が聞こえる会社にいます。パート勤務ですが、これはまだましです。
「顔が見えない日本人」、「出る杭は打たれるという文化をもつ日本人」
大事なのは、日本人はいったいこれを改めるつもりがあるのか?ということです。 

立入様のおっしゃるとおり、まず意識改革が必要です。
今のtwitterで明らかなことは、それでも多くの人たちがしっかりと自分の意見を持っている、ということです。皆明らかに主張しています。しかし問題は、‘リンク’されていないことだと私は考えています。自分の中では問題意識を持っていても先に書いたように、教科書については間違っているというリンクづけができない。私自身の意見として、SHAREを実現するために本当に必要なことは、様々な事柄を360度の角度からリンクさせることだと考えています。そして自分に結びつけることだと思います。ですので立入様が述べる、もし、自分の家族が危うくなったらと言う質問は、人々にリンクの概念を喚起させるもっとも良い質問だと思います。エジプトの民主運動は、このフェイスブックをとおしたリンクに本当の意味でのリンクがつながった大革命でした。

立入様が心に求めることは皆意外と心に持っています。だそれを具現化する立入様のリーダーとしての役目が非常に重要であることについて、私は応援したいと思っているのです。フェイスブックを通して人が人を判ることができればそれこそどんなにすばらしいですか?これはフェイスブックなしではなりたたないのです。今のところ日本人は皆顔を出しては話しません。でも毎日本当に意味あることをつぶやいている人もいますよね。これが私たちの大きな希望で財産で無尽蔵にあるSHAREの源です。すごいですよね。外に出る日は必ず来ます。今は不毛な地のように見えるその場所もひとたび命が吹き込まれればそこは大胆に恵まれた土地になります。

ここで一つ私の方からお願いがあります。はっきりと申し上げますが、もし何かしてほしいと思うことがあれば、私には遠慮なくおっしゃってください。何の知識もないのは残念ながら確かですのでお役にたてることは少ないと思いますが、私にはイエスがついています。私は、SHAREの実現を強く望みます。小さな人間でも役に立つことはあるでしょう。ぜひどうぞ。

ソーシャルメディア革命のきっかけともなった、日本でソーシャルメディアが立ち上がらない10(+2)の理由というエントリーに対して、下記のようなコメントを頂いた。
最近は執筆に追われることが多くなり、まともに意見を述べるエントリーも少なくなっていたこともあるので、少し踏み込んで回答をさせて頂くことにした。
たまには感情的なエントリーもいいのかも知れない。

まずコメントの内容は下記。投稿主は佐々木裕一さんとある。

だいぶ前のエントリーに対するコメントで恐縮ですが、7にある次の部分があまりに異様だったもので、若干コメントします。
<本来は英語教育を(一時的に)捨ててでも言語としての親和性の高い韓国語や中国語を学ぶことで、もう少し国際感覚を身につければ隣国のニュースなどに興味をもつようなケースもでてくると思うし文化交流も深まるはずだが、人権の問題とも影響して日本人は隣国のアジア人に対する持ち前の人種差別意識を乗り越えようとはしていない。>
。。。<隣国のアジア人に対する持ち前の人種差別意識>?。。。文脈からして、<隣国>とは、中国と韓国のことを指すと思われますが、中国が、歴史をねつ造し反日教育をしていること、韓国も同様であること、それをご存じなんでしょうか?また、文化交流どころか、今、日本が、中国にあらゆる面で侵略されつつあることをご存じなんでしょうか?また、<人種差別意識>という表現も異様です。まず、日本人が、かれらを差別しているとしたら、それは、人種差別ではなく、<民族差別>というべきでしょうし、憎しみを植えつけられて<差別>しているのは、中国、韓国のほうです。また、<南京大虐殺>等をはじめとして、反日プロパガンダを彼らは行っています。欧米におけるそれは凄まじいものです。日本は、今、中国、韓国、そしてロシアによって、浸食されつつあります。日本は、軍事力を行使できない憲法をもっており、アメリカの力が弱まる中、力の<空白地帯>になっているのです。
以上について、どのようにお考えでしょうか?

まず、ご指摘の通り、「隣国」というのは極東諸国である中国、韓国、台湾のことを指し、北朝鮮や(国とするかどうかはさておき)香港も含まれる。(ちなみに、文脈からしなくても隣国のアジア人といったら、これくらいしかないと思うのだが、それは揚げ足取りになるからおいておく)

まず一問一答

Q. 中国が、歴史をねつ造し反日教育をしていること、韓国も同様であること、それをご存じなんでしょうか?
A. 「捏造」の定義にもよりますが、言わんとされる文脈を汲みとると、知ってます、が私の答えです。しかもそれなりに詳しく知ってます。(高校生の頃から世界史オタクと言われるくらい細かく勉強して、山川の教科書が書き込みだらけで耳なし芳一みたいになってたのは私の同級生ならみんな知ってると思います)

Q. また、文化交流どころか、今、日本が、中国にあらゆる面で侵略されつつあることをご存じなんでしょうか?
A. 「侵略」の定義にもよりますが、知ってます、が私の回答です。ただ「あらゆる面で」とは思いません。
ちなみに、2000年からPCハードウェア関連のバイヤーとして、中国や台湾の方たちとの取引を多くしまして、多い時には1年に7回中国出張してました。中国語もその時学びました。主に工場を視察してまして、マイクロソフトやロジテックといった大手メーカーのマウスやキーボードを製造している工場を視察したり取引をしたこともあります。
中国の進出を許していない業界というのも数は少ないですが存在します。そして、世界一の人口を誇る中国に侵されているのは日本だけじゃなく、世界各地で起きている現象ですのをご存知だと思います。

Q. また、<人種差別意識>という表現も異様です。まず、日本人が、かれらを差別しているとしたら、それは、人種差別ではなく、<民族差別>というべきでしょうし、憎しみを植えつけられて<差別>しているのは、中国、韓国のほうです。
A. これは質問じゃないと思うのですが、人種差別ではなく民族差別だ、というのであれば、それは言葉のあやという問題なので、どちらでもいいと思います。

ちなみに人種差別撤廃条約では下記のように定義されているようです。

人種差別の定義を「人種、皮膚の色、世系又は民族的若しくは種族的出身に基づくあらゆる区別、排除、制限又は優先であって、政治的、経済的、社会的、文化的その他のあらゆる公的生活の分野における平等の立場での人権及び基本的自由を認識し、享有し又は行使することを妨げ又は害する目的又は効果を有するもの」と定めている。(ウィキペディア

表現が異様というのはご自身がお考えになる点であり、私は異様だとは思いません。

そして、次の
憎しみを植えつけられて<差別>しているのは、中国、韓国のほうです。
という点についてですが、それはそうかも知れないし、そうじゃないかも知れません。そういう人がいるかも知れませんし、そうじゃない人も多くいると思います。これは日本でも同じことです。

ただ、問題は
それと、私の発言と何の関係があるのか
ということです。相手がこちらを差別しているから、こちらも差別するんですか?それとも、だからこそ「協調と対話」の道を模索するために、歩み寄りを図るんでしょうか。差別を続けたからといって、ご指摘の「中国の侵略」が止まるんでしょうか、それとも日本はそのまま乗っ取られるんでしょうか?

Q. また、<南京大虐殺>等をはじめとして、反日プロパガンダを彼らは行っています。欧米におけるそれは凄まじいものです。日本は、今、中国、韓国、そしてロシアによって、浸食されつつあります。日本は、軍事力を行使できない憲法をもっており、アメリカの力が弱まる中、力の<空白地帯>になっているのです。
A. 反日プロパガンダが存在するのはもちろん知っています。欧米におけるそれが凄まじいものかどうかは知りませんが、少なくとも私が19歳の時に渡米して以来、アメリカの地でそれらしきものに出くわしたのは、「Rape of Nanking」が出版された時くらいです。(私の勉強不足かも知れませんが、一応英語でメディアチェックしてます)

>日本は、今、中国、韓国、そしてロシアによって、浸食されつつあります。
アメリカやイギリスの影響はないんでしょうか?「侵食」の定義がよく分かりません、イデオロギー的な話をされているのであれば、明治維新以降、とっくに日本人は日本人の魂を失ってしまっているという指摘をしている識者の方はたくさんいると思いますし、それは中・韓・露以前の問題だと思います。

Q. 日本は、軍事力を行使できない憲法をもっており、アメリカの力が弱まる中、力の<空白地帯>になっているのです。
A. 懇切丁寧にご説明頂き、有り難いのですが、一応私も憲法第9条については理解していますし、日本の国民はみなそれについて学校で学んでいるはずです。
ただ、
>アメリカの力が弱まる中、力の<空白地帯>になっているのです
これは、かなり主観的な意見だと思います。言わんとされることは理解できますが、軍事力と経済力の話、そして、文化の話を一緒くたにするのは詭弁というものです。もちろん影響があるのは分かりますが、そんなことは誰でも分かることなので、もう少し理路整然とした説明をしないと反論にならないと思います。

そもそも、私は今回のコメントの趣旨が理解できませんでした。私が指摘した内容は、「相互理解のために隣国の言葉を学ぶのも重要」だということと、「英語は難しいから、韓国語や中国語を先に学んでバイリンガルとしての感覚を養うのが重要」だという点でした。むしろ、指摘された内容を通じて、私は持節の正当性を強めるにいたりました。

孫子は言いました、「敵を知り、己を知れば百戦危うからず(第三篇 謀攻)」、と。
佐々木さんが指摘される内容は、これの裏返しに過ぎません。

ここで、みなさんに問うてみたいのです。

意力からの質問
あなたの周りで、日本語を話す中国系や韓国系の方々をこれまで何人くらい見ましたか?

次に
では、あなたの周りで中国語や韓国語を駆使してネイティブと対等にコミュニケーションをとっている日本人をこれまで何人くらい見ましたか?

そして最後に
では、あなたの周りで、英語を駆使して世界と対等に渡り合うコミュニケーションをとっている日本人の名前を何人挙げられますか?

私が本やブログの中で訴えている「開国論」の趣旨は上記を考えてもらえれば一目瞭然です。結果はみなさんが毎日新聞で目にしている通りです。
原因があるから結果があるのです。

そして、私は日本のために、これを書いています。右翼とか左翼とかいうつもりはありませんが、海外在住の日本人は逆に愛国心を強めることがよく知られています。私は祖国である日本を愛していますし、日本人は世界でも最も優秀な民族の一つだという自負をもっています。しかし、それを単に主張するだけというのはただのエゴというものです。世界はそんなの相手にしません。

「顔が見えない日本人」、「出る杭は打たれるという文化をもつ日本人」 いずれも的を射た批判だと感じています。
大事なのは、日本人はいったいこれを改めるつもりがあるのか?ということです。 
世界でこれだけ有名な経営者がでてくる中で、日本の経営者の何人が知られているんでしょうか?総理大臣の名前を何人のアメリカ人が覚えているでしょう?私が思うに、一般的なアメリカ人は日本の首相の名前なんて一人も言えないと思います。「世界二位の経済大国」というキャッチコピーを何十年も謳歌してきた日本は、世界的なブランドをいくつも育ててきた割には、「個人」を売りこめなかった。チームプレイに徹してきた日本は球団としての地位を高めたけれども、スター選手や監督の名前はそれほど育てることができなかった。もちろんそれが悪いなんて言ってません。私が一貫して主張してきてるのは「開国論」であり、それは単に外国勢の進出を許すだけじゃなく、対等に世界とわたり合っていく方策を練ることです。政府自体がまともな外交をできていない状況で、それを国策に頼るのは大きな間違いです。(だいたい毎年首相が変わる国でまともな外交政策なんて練れるわけないでしょう)
国民一人ひとりの意識変革がそれをもたらします。だから、今フェイスブックがもたらした「実名制の壁」論争が非常に重要だと思い、それに対する意識を喚起しているのです。(私自身は自分の見てくれがいいと思ってるから顔出ししてるわけでもなく、まったく正反対です。本当は人前で話すのすら抵抗が大きいのですが、それを自身に対するチャレンジだと捉えています)

もう一つ言っておくと、日本は「世界平和」に対してもっと真摯に取り組むべきです。自分たちの生活が豊かで平和だからといって、そうじゃない他人に対する意識をもたないでいると、いつか大きなしっぺ返しを喰らいます。戦後の焼け野原で生活した私たちの親戚や、水呑百姓として暮らしてきた我々の先祖を思い出す時、感謝の念が湧いてきます。ペイ・フォワードという言葉がありますが、今を生きる私たちはそれを未来の子孫に託すという重要なミッションがあります。
やれ、政治が不安定だ、不況だということで、それをおろそかにしていると大きなツケを払うことになります。「ゆとり教育」という大失敗のために、何百万人という子弟に影響がでましたし、ひいては国際競争力の低下につなげてしまいました。しかし、それを国のせいにして終わるのはお粗末というものです。何故なら教育の根本は家庭にあるからです。私たちは子供たちに「世界平和」についての教育を施せているでしょうか?コンゴでは600万人というような規模での虐殺が続いています。それを「対岸の火事」だからといって放置していると、逆の立場に陥るかも知れません。(受験国語で頻出した、「権利の上に眠る者」という丸山眞男氏の言葉が今でも耳について離れません)

今インターネットがもたらしているソーシャルメディアの革命の意義は、ちっぽけなものではなく、新しいグローバル規模での「基本的人権の尊重」についての意識です。世界は間違いなく、そちらの方向に向かっています。

私は幸せを維持するために、重要な要素がいくつかあると思っています。一つは、それに感謝すること。そして、もう一つはそれをシェアすること。
シェアすることの発展形は、「自分の幸せを削る」ことだと思っています。どういうことかというと、幸せじゃない人のことを考えて、祈ったり、手助けをしてあげたりすることです。私は過去2年間ほど、ビジネスでとんでもない苦労をしてきまして、周囲の方の多大なサポートにより、立ち直ろうという段階にあります。
「他人の情けが身に染みる」という言葉がありますが、この意味を本当に理解することができるようになったのは、つい最近のことです。経済的なことですらそうなのですから、生命の危険に脅かされている人たちが抱えている悩みや困難というのは想像を絶するものがあります。コンゴでは、システム的なレイプが繰り返され、見せしめのために親が子供をレイプさせらりたり、女の子たちは穴の中に閉じ込められ、性的な苦役を日常的に強いられるわけです。男性はみな鉱山で採掘の強制労働をさせられます。「強制労働」と「慰安婦」、どこかで聞いた話じゃないですか?
今日本が、本当に意味で彼らと「つながり」をもつことができれば、それは本当に感謝されると思いますし、きっと、それはまた日本に返ってきます。

私は日本の歴史についても学びました。そして、隣国との様々な問題があるのも理解しています。捏造という問題もありますし、一方的にどちらかの肩をもつというのも難しいことがあるのはよく分かっています。しかし、数百時間を費やした世界史の勉強の中で私が学んだことはたった一つです。

それは
「人類は同じ過ちを繰り返してはいけない」
ということです。その為以外に歴史を学ぶというのは歴史や先人、犠牲者達を冒涜する行為だと考えています。
選挙権について軽んじる若者がいたら、私はいつも古代ギリシアの話をします。なぜアテネでは男性にしか参政権が無かったのか、それは女性を蔑視していたからではなく、男性だけが従軍したからです。つまり投票権は命がけで得るものだったのです。一票はまさに人の生命の重さだったのです。

平和な世界を望まないものがいるとしたら、私は徹底的に戦おうと思います。「必要悪」という概念を主張する人がいますが、それにも合意できません。
クラスのみんなが楽しい人生を過ごせるように、誰か一人がいじめられっ子の役割を果たさないといけない、
そういうことですよ?
私は7歳の頃両親が離婚したことがきっかけで、母の郷里であった大阪市の生野区というとんでもなくバイオレントな地域の、しかもその中でも最もガラが悪いので評判の中学校に通いました。東野圭吾さんが「あの頃ぼくらはアホでした」で語っている中学校の隣のその学校は、(少なくとも私の世代近辺では)彼の学校よりも悪いくらいでした。彼が本の中で語った内容は、全て私にとっての現実です。
例えば、体育のサッカーの授業で負けると、運動神経の悪い太った男の子たち、優等生たちが教室の後ろに並べられて、謝罪させられ、ぶん殴られます。
先輩がでてきて、後輩の中でも番長クラスの連中を呼び出しては、机や椅子を投げてボコボコにして、忠誠を誓わせます。

そんな環境で育つと、子供たちは強くなると同時に「平和」や「秩序」を求めるようになるのです。私たちの中学校では「弱肉強食」がルールでした。弱さイコール存在感の無さであり、発言権の無さです。「必要悪」を主張するなら、一度そういう環境に身を置いてみてください。あるいは自分の子供がその中で「いじめられっ子の役割」を演じるとしたら、どう思いますか?

もっというと、この生野区という町は在日韓国人が日本一多い町です。実に区の人口の25%以上が在日の方たちです。だから、「隣国」というのは私に取っては現実以外の何者でもありません。さらにいうと、上記で同級生をボコボコにしていた大半は在日の同級生でした。そんな体験をした私が「隣国」の文化を理解しようと言ってるのは、まともに文化を理解していない知識人がいうのと訳が違うと思ってください。それでも私は大学時代に韓国語を勉強したことで、理解を文化し、彼らの中の良い部分、言動の原因のような部分についても理解を深めることができました。(もちろん暴力はよくないことです) 私は彼らについての「違い」を理解できているつもりですが、「差別」するつもりは毛頭ありません。差別をしたらされるんです。(同じく地元の大先輩の梁石日先生の作品でも読んでください) Playing for Changeが世界を音楽でつなぐという時、そこには人種や民族の間の線引きなんてないんです。あったら、それは騙しです。

では、中国はどうでしょうか? 
そんな中学校に通っていた立入少年は中学三年生の時に隣の旭区の区役所で行われた「731部隊展」に行って、人生が変わる程の衝撃を受けました。
実はその前年、やはり同じ場所で行われた「アウシュヴィッツ展」に行って、人生が変わる体験をした彼は、「悪魔の飽食(森村誠一)」などの話をしっていながらも、半ば責任感として731部隊展にいきました。自分の先祖たちがどういうことをしたのかを知っておこうと思ったからです。(ちなみに彼の父方の祖父は太平洋戦争に従軍しており、母方の祖父は醤油を本当に飲んで兵役を忌避していました。彼は父方の祖父とは面識がないですが、母方の祖父は大好きでした)

捏造については、浪人時代に通っていた河合塾の(「世界史講義の実況中継」で知られる)青木裕司先生についても授業で聞きました。(彼は私の知る限り日本一の歴史の先生だ)例えば日本兵らしき兵隊が刀をもっている写真で、握り方がおかしいとか、生首の写真が、実は同じ中国の馬賊によって殺された人たちのものだった、とか云々。
しかし、そんなことのずっと前に私は731部隊展で、実際に731部隊展、あるいはその周辺で活動していた元兵隊さん(もちろん日本人)の涙ながらの証言に心を打たれたのを生涯忘れられないのです。

例えばこういうものです。
「ある日、部隊がとある村を通りがかったら、民家から女性がでてきて、泣いて頼みごとをしてくる。それはどういうことかといえば、頼むから旦那の死体を下ろさせてくれ、というものだった。部屋の中に入ったら、旦那の首吊り死体が居間の真ん中にかかっており、とんでもなく腐乱していた。そして、そこには張り紙があり、「無断で下ろしたら一族郎党皆殺しにする」というものだった。」
こんな話を涙ながらにした、この元兵隊さんは何度も繰り返しました。「私だって、こんな話をしたくないんです。できたら黙ってそのまま棺桶まで持っていきたいんです。だけど、歴史を繰り返さないために恥をしのんで、こうやって話して回ってるんです」、と。
彼は罪滅ぼしのために日本中をそうやって講演して回っていたのです。

人類は歴史を通じて、数多くの戦争を繰り返してきました。私に取って、その瞬間から、戦争というのはただの言葉じゃなくなりました。犠牲者の一人ひとりの背後には家族や愛する者がいたわけです。また、戦争という極限の状態の中では、どうしようもないことだって起こりえます。

私は最近四人の娘たちが大きくなるにつれて、自問自答することがあります。

「もしも家族を守るために、誰かを殺さなければいけないとしたら、どうするか?」
もちろん、極限の状態の話です。
そして、答えは残念ながら、きっと命がけでも守ろうとするだろう、ということです。
後は、ひたすらそういう状況が眼の前で起こらないように、祈って、あらゆる手段を使って回避するしかありません。
そういうことを考えながら、コンゴやアフリカ、中東について思いを馳せると、重みが全然変わってきます。彼らに取っては眼の前にある現実がそうなのですから。

フラット化した世界、世界はつながっている、本当にそうなんでしょうか?インフラや貨幣が流通するのではなく、人間としての根本的な部分、つまり「気持ち」が通じなければそんなもの意味ありません。

だから私たちは本気で「世界平和」や「人権」といった概念について取り組まなければなりません。それは宗教的な理念でも、偏った理念でもないのです。
それは人類としての責任だからです。もちろん環境についても同じことです。環境問題はその字のごとく、本気で解決しようと思えば国境を超えた合意が成されなければならない分野だからです。自分だけがよいという考えでは先に進みません。
こういうビッグワードには対応できないが、「コミュニケーション」や「フレンド」、「リレーションシップ」なら対応できるというのなら、それでいいでしょう、「いいね!」や「ツイート」でしかそれを理解できないなら、そこから始めましょう。(でも他の国々では子どもですら人権について学んでいることを忘れないでください。何でもカタカナにしたらいいってもんじゃありません)

日本人が国際競争力を失った、ということを話す人は多いです。しかし、「日本人は世界平和に対して意識をもっていない」と日本人に語りかけてくれる人はそういません。海外の人はそれほど日本に対する理解ができていないし、分かっている人は言ってもあまり意味がないと思っているかも知れません。
愛とか平和とかを語るのは宗教だけだと思っているとしたら、それこそ大きな偏見です。(日本人の宗教嫌いについては、またチャンスがあれば触れたいと思いますが、世界第一の経済大国であるアメリカの建国背景と理念が純粋に宗教的なものであることを忘れないでください)

ネットで、匿名をいい事にいろんなことを言う人がいます。もちろん言論の自由は保障された人権ですので、それはいいことです。
しかし、肝心の部分から目を背けて知ったかぶりをする癖をつけてはいけません。日本が世界から取り残されつつあるのは、日本が世界のことを気にかけていないからです。これまで内需があるのをいいことに、自分たちのことばかり考えてきたからです。(もちろん、全員ではありません)
一方、近隣諸国は日本のことを羨ましく思いつつも、自分たちの生き残りの道を世界戦略に託しました。台湾や韓国が成功したのは徹底的に努力したからです。どれだけの台湾人や韓国人が日本語を流暢に話すでしょうか、ものすごい数です。アフリカ人に中国に対するイメージを聞いてみてください。驚くほどポジティブなコメントをする人が多いのです。彼らは「中国がアフリカを侵略している」と取っているでしょうか?それとも、何世紀にも渡ってさんざん略奪され続けてきたアフリカ大陸の救世主だと捉えているでしょうか。JICAやODAを通じて、献身的な努力をしてきた日本との違いは何だったのでしょうか?(私はエチオピアにいた時にJICAの方々の献身的な苦労や天然痘の撲滅に協力したPEACE CORPSのボランティアの話を聞いて、感動しました)

日本はアジアにとって、ヒーローでした。あんなちっぽけな島国なのに戦争をしては中国やロシア、アメリカという世界の大国に勝負を挑み、時には勝利を収めました。そして、世界で唯一原爆を、しかも二度も落とされ、焼け野原のボコボコの状況に成りながら、世界第二位の経済大国に上り詰めるという飛んでもないウルトラCをやってのけたのです。これは本当にすごいことであり、私たちの世代の多くはこれに一切貢献していません。
疎開や闇市といった、昔の話を母がよくしてくれました。戦後ロシアから還ってきた人々は、ほぼ例外なく、口を閉ざしたままです。想像を絶する経験をしてきたからです。もしかしたらアメリカのベトナム・シンドロームなんて比べ物にならない体験をしてきたのでしょう。

フェイスブックだ、ツイッターだ、と騒げる日本はどれだけ平和な国なのでしょう。もう一度よく考えてみてください。

日本は、世界一かも知れない、そのネットインフラにのっかったソーシャルメディアを通じて、これから何を世界に発信していきたいんでしょうか?

世界でも賞賛される民族性をもった日本人、平和憲法をもった日本人だからこそ起こせる「革命」があるのだと私は信じています。
しかし、それは外的な方向に向かうのではなく、各自の内面に向けられていくべきだと思います。その変革が日本の未来を支える日本人の心に起こらない限り、きっと数十年後の国際社会で日本の立場はないことでしょう。しかし、それでも私は日本を愛し、誇りに思うことでしょう。
だけど、そうじゃない日本の未来を信じて、私はメッセージの発信を続けます。それが「インフルエンサー」だと思っています。

私のブログの読者のみなさんに敬意を表して、そしてこの発言の場を与えてくださったことに感謝しつつ。

立入勝義 拝

久しぶりにZEN ENGLISHのエントリー

と、いっても非常に短いものである。

今週LAを訪れていた某社長さんとの会話を楽しんでいた中でのこと、「コミュニケーションの基本は共通項を探すこと」だということで一致した。
彼とのつきあいはもう7年以上になるのだが、英語がまったくできない状態から果敢に海外進出を目指し、ようやく最近形になりつつある。それも誰が聞いても知っているようなビッグブランドやライセンス、そしてNYでも最上級とされるミュージアムを含めた顧客との口座が開設されつつある状態である。彼の英語も、もちろん上達してきている。多くの場合筆者が通訳にあたるのだが、やはりそれでは満足できないらしい。コミュニケーション好きの彼は、自分の力で少しでも「ダイレクト」なやり取りを楽しみ、相手に自分を印象づけたいという。話しながら相手をじっくり分析していると、服装や過去の経験、色んなことでこの「共通項」は見つかるものだ。

日本人にとって英語という外国語でのコミュニケーションは難しいものである。しかし、基本が分かっていれば、気持ちをつなげるのはそう難しいことではない。巷では英語公用語化の影響も受けて、とかく英語のスキル的な部分についてのディスカッションが増えているようだ。しかし、根本的な部分はこの「共通項探し」であり、人とのコミュニケーションを楽しめるかどうかにかかっている。つまりこれは日本語で話していてもまったく同じことなのだ。母国語である日本語を話している時には、この部分は自然に実行できているか、あるいはそれほど意識していなくて、結果的には自分のコミュニケーションのレベルを制限してしまっているかのどちらかになっているかも知れない。

私が17年前に初めてアメリカの地を踏み、周りが「外国人」だらけになった時、ほとんど私の英語は通じなかった。しかし、一緒に時間を過ごす中で、何とか共通項を探そうとして、意外に学校で学んできた世界史の知識が役立つことが分かった。世界史では地理や文化史などについても深く学んだので、時には先方がびっくりするような内容も話せたことがあった。こういうことから自分の印象が相手の中に形成されていくし、ある意味、眼の前の異国人に対して自分が日本人の代表となっているような気持ちでコミュニケーションしていたことも多かった。

英語の学習でつまづいている人は、一度普段自分がとっている日本語でのコミュニケーションの内容を見つめ直してみることだ。
コミュニケーション上手な人のそれと比較したり、助言を聞いてみることで英語力も向上するに違いない。文化や歴史、育ちの背景といったところで共通項が俄然少なくなる外国人とのコミュニケーションでは、ハンデが急激に大きくなるのだから日本語でできていないことを英語でやるというのには無理がある。そして、この英語という言語こそが世界の人間をつなぐ共通項になってきているということを忘れないでいて頂きたい。英語ができるから国際人になるのではなく、国際人としてのマインドをもって生活していく中で英語力が向上していくのだ。

コンゴの問題に関わり始めてまだ間もないのだが、同じアフリカの国チュニジアでつい先日起こったことは本当に大きな激励となった。
そう、チュニジアで起こった革命(ネット上でジャスミン革命と命名されたらしい ジャスミンはチュニジアを代表する花だという)にソーシャルメディアが深く関わっており、「ソーシャルメディア革命」と呼ばれているというのだ。

チュニジア

チュニジア大統領が国外脱出、87年から独裁 (YOMIURI ONLINE)

北アフリカ・チュニジアのジン・アビディン・ベンアリ大統領(74)は14日、退陣要求デモが全土に拡大する中、国外に脱出した。
 これにより、23年にわたって強権手法で国を治めたベンアリ大統領の体制は幕を閉じた。ガンヌーシ首相は同日、国営テレビを通じ、自らが暫定大統領として職務を引き継ぐと明らかにした。

これにソーシャルメディアが大きな役割を果たしたという報道がされている。
詳細はオルタナティブブログの下記エントリーに詳しい。

チュニジア政権崩壊におけるリアルタイムウェブとジャーナリズム (小林啓倫)

さて、最近の様々な政治的混乱においては、様々なソーシャルメディア+リアルタイムウェブが大きな存在感を放っていることはご存知の通り。それでは今回のチュニジアでは、どのような事態になっているのでしょうか?いくつか記事がアップされています:

■ Tunisian protests fueled by social media networks (CNN)

まずCNNのレポート。記事の冒頭、ハイライトが以下の3点にまとめられています:

* チュニジアの抗議活動において、SNSサイトが重要な要素になっている。
* 政府はブロガーの排除を最優先事項に置いている。
* 若者の高い失業率が、抗議活動を後押しする結果となっている。

特にウェブサービスの活用という点では、イランなどのケースと同様、TwitterとFacebookが中心となっているようですね:

通常のホームページも活用されているようですが、政府の対抗措置により軒並み閉鎖に追い込まれているとのこと。それに対して活動家たちは”Free From 404″(もちろん”not found”エラーを示唆しているわけですね)というスローガンを掲げ、政府の圧力を避けてTwitter、Facebookをコミュニケーションの場としているそうです。

エントリーの続編 
チュニジアの「ジャスミン革命」は「ソーシャルメディア革命」と呼べるのか?

Following Tunisian events on Twitter (動画)

Following Tunisian events on Twitter from The Next Web on Vimeo.

暴動をリアルタイムで中継する市民に対して、ツイッター規制をかけたというのが「ソーシャルメディア革命」と呼ばれる所以の一つとなったようだ。
英語の検索ではTwitter Revolutionなどとも呼ばれており、大きな話題になっているのが伺える。
関連記事:
Tunisia Twitter Revolution VS Twitter Impeachment (WPR)
Tunisia: Social Justice or Social Media? (Huffington Post)
The Jasmine Revolution: One-Time Wonder or Portent of Things Yet to Come? (Huffington Post) (*2004年にウクライナで起こったオレンジ革命の結果に民衆が満足しているのか?という視点を提起)

実際に、この革命を「ソーシャルメディア」が起こしたという見方を提示するのはやりすぎだし、得策ではないかも知れない。しかし、人々の視点を変えるという点で「ソーシャルメディア」と「革命」のつながりを目の当たりにする実例がでたというのは歓迎すべきことである。圧制に虐げられた市民の怒りが爆発するのが革命であり、それが民主主義というものであろう。(個別の政治的視点に言及するのは私の仕事ではないと思う)

次はコンゴ、ということにならないだろうか。私はそれを切望する。

チュニジアには行ったことはないが、90年代の後半に3ヶ月ほどエチオピアのアジスアベバに滞在し、アジスアベバ大学で地理の授業を聴講したことがある。アフリカという大陸は不思議な大陸である。日本という満たされた国にいる我々の日常からあまりにもかけ離れており、そのダイナミックさや悲惨さが訪れる者の心を奪う。
現地の人がすぐ前で飢えているにも関わらず、自分は豊かな食事にありつけているという矛盾。そして、何よりも胸に刻み付けられたのは、その大陸を訪れるまでまったく自分の心にアフリカの現実が映っていなかったという事実。それは映画「シンドラーのリスト」で見るような極度の対比で、自分の心に深く深く残った。
高校の卒業文集に自身の目標として、国際公務員として「アフリカ緑化」に携わることを掲げた。その夢と今はだいぶ違うところにはいるが、20代の前半に経験したアフリカは今も私の心に色んな形で残っている。そして、その最たるものは自身が無力だということを痛いほど感じさせられたという「傷」である。

その後アメリカに戻り、大学で環境政策学を学んだ際にも、いったいどうしたらこの大きな問題と自分が抱える葛藤を解決する方法があるのかと真剣に考えたものだった。(もちろん先進国には先進国の問題があり、それはシリアスなものである) 食料問題は人口増加が問題なのではなく、「配分」 (allocation) の問題だ。
当時学んだ数字だと、アメリカ人一人が一日に消費するエネルギー(資源)はアフリカ人一人が消費するそれの30倍にも相当すると言われていた。もしかしたら、今はもっと格差が開いているかも知れない。だから、資源問題を単純に「頭数」だけで考えるのは馬鹿げているし、それは誰かの一方的な利権を代弁するものに過ぎない。そのような先進諸国のエゴの犠牲になり続けてきたのが、アフリカ大陸であり、これは今日にいたるまで社会の進歩の闇に潜んでいる、まさに「暗黒大陸」なのだ。

で、何が「暗黒」かというと、それは世界中のほとんどの人が現地で起こっているという事実を知らないことである。だから「可視化」が問題になるし、共感が必要になる。ニュースで報道されていたとしても、それは多くの人の心には届かない。「アフリカはいつだってそうじゃないか」という風に思うのが関の山だろう。
しかし、一度でもアフリカを訪れれば、アフリカの現実は自分の現実になる。自分の日常の中に、アフリカを感じ、自分の生活に矛盾を感じるようになる。それが自然だと思う。私が環境学を学んだ結論は、「先進国にいるものが生活水準を下げること」、あるいはそうしなくともそういうことに意識を向けること、だった。

今回のコンゴの運動に関しては、従来のような「募金」とか「人道支援」というレベルのサポートを求めるのは、私のすることではないと考えている。
あくまでもソーシャルメディアを活用して、注意を惹きつけること、より多くの人々にその惨状についての認識と理解を得てもらい、また、「自分たちの生活と実は密接なつながりがある」ということを認識してもらうことである。

ソーシャルメディア革命は一つのつぶやき、一本のブログエントリーからスタートする。。。

コンゴについての現状を伝えるサイトの一つがコチラのFriends of Congo.org

少しオドロオドロしいタイトルになってしまった。

しかし、年明け早々、筆者の興味を強くそそるプロジェクトを渡米時代からの恩師である、あるメンターから頂いた。(前回の中国3Gプロジェクトから1年とちょっと、今回のプロジェクトもスケールが大きい)

今回の舞台はコルタンというレアメタルを巡って多くの生命が命を失い、たくさんの女性や子供の人権が蹂躙されているコンゴ。世界でソーシャルメディア革命が進み、このような内容が明るみに出ることは非常に重要なことだが、その背後で、ソーシャルメディアを支えるスマートフォンの電子部品などのために必要なレアメタルを巡って、多くの生命が蹂躙されているということも看過すべきではない。

(コルタンについてのウィキからの引用)
タンタルは携帯電話、ノートパソコン、ゲーム機などの電化製品におけるコンデンサーなどに用いられる。これら電化製品の普及に伴い、コルタンの需要が近年増加している。

Congo Map

まだ詳しい内容はここでは明らかにできないが、今年はこのコンゴの闇を巡るソーシャルメディアのプロジェクトに関わっていくことになりそうだ。本も1,2冊執筆することになるだろう。

実は筆者自身、渡米する前からアフリカに関する問題には常に興味をもっており、それが縁で1997年にはエチオピアに数ヶ月滞在し、アジスアベバ大学にて授業を聴講していたこともある、というのはこのブログでも何度か述べた。その後UCLAで環境学を学んだきっかけにもなった。

コンゴについての動画

コンゴの紛争の歴史についてはコチラに詳しい

Enough ProjectというNPOを立ち上げているJohn Prendergast氏が紹介するConflict Mineral 101

彼らは、このような犠牲の上に成り立っている部品含まない、「コンフリクト・フリー」な部品を大手企業が利用していくように働きかけるべきだという声をあげている。

Raise Hope for Congo プロジェクト

これに似た分かりやすい話がディカプリオ主演のブラッド・ダイヤモンドという映画。ここでは、文字通り人名の犠牲(血)によってもたらされたダイヤモンドが話題になった。(これについても諸説はあるようだが、何らかの事実を元にしているであろうとは思う)

どこまでできるか分からないが、やれるだけやっていきたいと思う。今年の意力ブログでは、一風変わったエントリーが続くかも知れないが、興味のある方はぜひとも行方を見守って頂きたい。

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