22 10月 2009
小学5年生の時、親友の一人のお母さんがESLの講師をしていたこともあって、仲間4人でそのお母さんから英語を2年ほど教わった。その中では私が一番熱心に勉強していたように思う、外交官を志し始めたのはこのすぐ後くらいではなかったか。今でも覚えているのはいくつかの新しいフレーズを勉強していた時に、自分が使っていた鉛筆を見失った私がとっさに ” I lost my pencil!”と叫んだ時のこと。思えば私の周りの最初のトリリンガルだった先生が、満面の笑みで ”Wonderful!” と言ってくれて違う鉛筆を差し出してくれてとっても嬉しかったことを今でも鮮明に覚えている。その後「家出のドリッピー」をやってみたり、英語に関してかかれた書籍を読んでみたり、地元の国際交流センターに足繁く通ってみたりと、生きた英語(正直受験英語は苦手だった)を学ぶことにはかなりの時間を費やしたように思う。大阪府下で最初の「国際教養課」なる珍しいカリキュラムが採用された年、その一期生に名を連ねることに何のためらいもなかった。そこでは本当に英語が上手な教師とネイティブのアシスタントがおり、英語しか話してはいけない授業などもあったため、徐々に生の英語に触れる機会が増えた。もちろんこの時の経験がなければ、19歳で渡米してそのままアメリカに滞在することなどなかっただろう。
最初の英語レッスンから24年という歳月の中で、思えば私と英語の関係が切れることはなかった。そして、今でもいかにして自身の英語力を高めるかについて日々研鑽している。英語というのはそれくらい日本人にとって難しい言語だと思う。これは私の生涯の英語学習を通じての実感である。それくらいロジックやコンセプトが異なっているのだ。たとえばUCLA時代に私が夏期集中講座で韓国語の授業を受けたとき、短期間で第三言語の基礎を身につけるという私の思惑通り、10週間の授業が終わった後には簡単な読み書きはできるようになっており、発音もちゃんとネイティブに通じるようになっていた。2000ドルの授業だったが、あの自己投資は本当に有効だったと今でも思う。(グレードもAでGPA向上に貢献したことも言うまでもない)この第三言語の学習は実は高校時代のフランス語が最初だったのだが、そのときは全くものにならず、韓国語では功を奏した。ここでの自信は中国語の学習にもつながったのだが、このいわばコストパフォーマンスの違いでもっとも大きな影響を与えているのは英語学習で培った柔軟性というよりは、言語間の類似性である。逆にいうとそれくらい韓国語と中国語は日本人にとって勉強しやすい言語だ。これは英語などの西欧の言語をそれなりに勉強してからこの二つの言語を勉強するとものすごくよくわかる。そういう意味では日本人は英語を学ぶよりも、他のアジア言語を勉強したほうが効率もよく近隣諸国との交流やビジネスにもつながると思うのだが、これを声高に主張する人があまりいないように思う。逆に私が冒頭に書いたポジティブな体験と正反対の体験をし、英語について、ひいては外国人とのコミュニケーションについて抵抗感をもってしまった人がどれだけ多いことか。人や食べ物の好き嫌いでも分かるように、一度抱いた抵抗感を払拭するのは並はんかなことではない。それならいっそのことゼロ体験のほうがましだ。時がくれば学べばいいし、その頃には需要に迫られているだろうからそれなりに真剣に勉強するだろう。それを阻むものはない。
前置きが長くなったが、今や35歳で英語歴24年という経験をもつようになった私は何か英語学習者に対して貢献できることがないかと常々思ってきた。それをとりあえず二つの形で世に向けて発信することにした。一つは「絶対語感」というビデオポッドキャスト(長いので何か変わりの言葉は、番組!?)であり、これは日本語の文言に関しては日本語で、おもしろおかしい英語表現に関しては英語でトークする番組だ。もう一つは執筆活動でいわば「ZEN ENGLISH」とも呼べる著書をしたためてみようと思う。といいながら忙しさにかまけてなかなか筆を進められないので、ちょっとずつブログで書いてみることにしようと思う。これは英語の文法や語彙などを教えることにフォーカスを置かずに英語(あるいは母国語としての日本語)に対する「メンタル」を変えることで英語学習の成果を伸ばそうというものだ。私が最近傾倒している「禅」の公案の概念や、愛読している”ZEN ENGLISH”という本にインスピレーションを受けたのはいうまでもない。
たとえば、こういう話をする。誰もが下記のフレーズを英語学習の初期の段階で学んだだろう。
“This is a pen.” (これはペンです)
これは実は英語がもつ単語の「原形」というコンセプトを示す非常にいいフレーズなのだが、実は英会話の教材としてはまったく適当ではない。 何故か?よく考えて欲しい。
このフレーズっていったいどういうシチュエーションで使うのだろう??
“Hi Ken, this is a pen!” “Hi Mike, this is a pen too!” とか?(爆)
考えたことありましたか?(次の段落は少し英文法に対しての説明になるのでアレルギーを持っている方は読み飛ばして、次の段落に進んで頂きたい。意味は通じるはず)
英語における動詞の原形は一般的にはそれが日常的あるいは慣習的に行われているか、継続する「状態」を示す。 “I go to gym.” は普段からジムに通っているというわけで、特定の時制を必要としないのはこの理由である。が、日本語の文法にはこれに該当する表現は一定ではない。たとえば「私は学生です」とはいっても(少なくともこの意において)「私は学校にいきます」とはいわない。代わりに同じ意味で「私は(今)英会話学校に通っています」と言うのは何らおかしくない。しかし、この「~しています」という表現に該当する英語表現は一般的には”(be) doing”に代表される現在進行形であり、これは例えば「(今)食べています」という表現の時には何ら違和感を感じないものの、日本語でいうところの「電話をしている」という表現を英語にすると”(be) calling”となってしまい、今度は英語の意味で「呼び出し中」という意味に近くなってしまう。(I just called to say “I love you”. という歌がある。英語では電話がつながった段階で”called”になっている。通話中は “on the phone”という「状態」である(すなわち原形)。また未来形があまり単語に影響を与えない日本語において、「明日(は)学校に行きます」というのはごく自然な表現であるのに対し、これを英語で原形のままでやると”I go to school tomorrow.”となりめちゃくちゃになってしまう。(sounds familiar!?) (また他の機会に説明するが、このような問題は過去形にも同じ問題があてはまり、日本語の過去形が「経験」を含むのに対して、英語ではこれを「完了形」を通じて表現しなければならない。
ちなみに私がこのフレーズの(英会話としての)意味のなさに気づいたのは、実はつい最近のことである。恐らく私は生涯に、このフレーズを英会話で学ぶ例としてあげる以外は日常生活で使ったことは一度もないだろう。理由は明白で、相手はそれがペンであることをしっているからだ。(もっともペンを見たことのない子供に説明する時には使う可能性がある表現だが。。。少なくとも私はそういう状況に遭遇したことがなかった)英会話ではもちろんこのTHISをTHATとかITに変えて会話の訓練に使う、が、ポイントは日本での英語教育があまりにも実用英会話とかけ離れてきたことであり、これは枚挙にいとまがない。もちろん教科書はどんどん会話を主体とするものに変わってきていると思うし、ガラパゴスが「進化している」と主張するのに反対するつもりはない。が、それが国民全体の英語力の著しい向上という実績につながっているかというと、まったくそうではないと思う。つまりやり方が間違っているのだ。文法を説明するために日常で使いもしないフレーズを一度勉強させるというのは大いなる二度手間である。苦手意識をもたれてもしょうがない。
ZEN ENGLISHでは文法を語らないと言いつつ文法を語っているじゃないか、と言われそうだが、ここでのポイントは上記の文法上の解釈(慣れればこれもきっと楽しいものになると思うのだが)ではなく、英語学習に関する「気づき」(*禅仏教での悟りのようなもの、もちろん次元は違うかも知れないが)の世界の共有である。よく言われることだが、英語が上達する過程において日本語の方もどんどん変わってくる。それは例えば、論理性と明確性を求められる英語を学ぶことによって、日本語特有の(特に自信ですら理解していないほど曖昧な)曖昧性の存在に気づき、それがコミュニケーションの妨げになるということを理解するからであるかも知れないし、「キャッチボール」で進む英会話のルールを知らず知らずのうちに日本語に適用することなのかも知れない、もしくはいわゆる英語の表現独特のポジティブさや率直な愛情表現などではぐくんだ感情が自然と日本語に反映されるからかも知れない。この「気づき」は単なる発見ではなく、自身の考えや行動規範に大きな影響を与え、かつ実際に特定の行動に結びつけるものでなくてはならない。現実に影響を与えない悟りなど何の意味もなく、この点を英語では ”get” という非常に単純な単語で表現することがある。これは単に「分かった」ということではなく、「悟った」という意味である。
簡潔にまとめようと思ったが、言葉に関する話題になるとやはり簡単に筆を止められないようだ。いずれにせよ、興味をもたれた方は「絶対語感」と “ZEN ENGLISH”に注目し続けて頂きたい。
22 10月 2009
今回初めて北京に来たのだが、北京の印象はこれまで訪れた他の中国の都市よりもかなりいい。もちろん好き嫌いは分かれるのだろうが、私はこの落ち着いた街に日本よりもはるかに長い歴史をもつ中国という国の歴史と成熟さを感じる。上海に比べると非常に地味な印象は受けるが、政治機能が集中しているここでは彼の地で感じられるような商売っぽく派手でギラギラした感じはない。それは街ゆく人々の服装にも表れている。広大な中国では行くところ行くところそれぞれでまったく違う印象を受けるが、私はここ北京で中国の一番自然な近代化の例を感じる。現地での要人とのMTGで中国の政治・経済、法整備などについて話が及ぶと、ここ北京では今まで知らなかったことを学ばさせられることが多い。世界一の人口を擁するこの国を動かしている人々の裏事情などを垣間見せられることが多く、最近躍進が目覚ましい中国が単にバブルの波に乗っているというのではなく、周到な計画と大胆な施策のもとに少しずつ前進しているさまが見て取れる。
経済的には、世界一の人口は勿論世界一の潜在的市場を意味する。自動車や携帯市場というメジャーな市場で世界一位の地位を誇る中国は、今や20年前、いや10年前ともまったく違う視線で世界中の国々から注目を集めている。かたやそれと同じ期間 『ガラパゴス』 と揶揄される高度でかつ独自の成長を遂げた日本は世界からの注目を失いつつあると思う。我々が海外に進出した時に恩恵に預かれた「MADE IN JAPAN」のブランド力はどんどん力を弱め始めていると感じるのは私だけではないはずだ。ロビーの力をみても日本の国際的競争力は本当に弱い。「中国はどこにいくのか?」はすなわち「日本はどこにいけばいいのか?」を教えてくれる教科書でもある。私自身がひょんなことから携わることになった、今回の大きなプロジェクトを通じて感じるのはまさにその点であり、これは私にとって教科書や机上の空論ではなく、まさしく現実そのものである。日本(そして日本人)の強みとは何か、日本が国際社会から求められているものとは何なのか、をもっと議論してみたらそこに何らかのコンセンサスは生まれるのではないだろうか。(ちなみに私は『ガラパゴス』化そのものは現実であるので良いも悪いもないと思っている。問題はその現実を無視しようとしたり、歪曲したり、違いを認識せずに逆に海外をガラパゴス植民地化しようとして大敗を喫したりすることである。島の中でのみ快適に生活したいというのが目標であればガラパゴスはパラダイスである、が、このいわゆる「鎖国か開国か」という議論は120年も前に決着がついたはずではなかったか)
余談であるが、最近テストを始めた「絶対語感」ビデオポッドキャスト用のネタとして、市内のあちこちにある英語のサインを見たのだが、煩わされたことはほとんどない。空港のターミナル間をつなぐニュートラム内などで流れる英語アナウンスメントも日本のそれに比べてレベルがかなり高い。これは昨年のオリンピックなどに向けて北京がかなり国際化に注力したということなのかも知れないが、外国人で溢れかえる東京の六本木でみかける英語サインのレベルのあまりの低さが頭をよぎり、この差は深刻だと感じさせられた。教育の目的をどこにおくかを施政者は真剣に協議すべきであり、それは決して短視野的なものであってはならない。政府と教育機関はいっこうに効果のあがらない英語教育にどこまでお金を費やせば気が済むのだろうか。予想通りの結果があがらない時にはその現実を直視してアクションをとる、ビジネスなら当然のことなのだが。。。私にできることは何だろう。
(*写真は今回先方の厚意により手配頂いたホテル。ルフトハンザセンター内にあり、住居棟も隣接している。北京空港からは車で40分くらい。ちなみに北京空港はすばらしい空港だ。)
20 10月 2009
待望のキンドル国際版がいよいよ出荷開始となった。
これから世界市場におけるアマゾンの猛攻が始まる。国際版のローミングが無料なのは確かにすごいことだ。私も早速注文したのだが、これで4台目の購入。キンドルを4台も買った人って珍しいんじゃあるまいか。(これを買うために下位機種となるKindle2の2台は売り払ってしまった。キンドルのコンテンツはアマゾンとの契約で売ることはできないが、De-Registerするだけで誰でもすぐに使えるようになるキンドル本体に対しては中古市場が存在する)これで会社に残っているキンドルは大画面のDXだけとなった。出張から戻ったらオフィスに到着してたら嬉しいのだが。(といっても米国内で使っているだけなら何ら違いはないのだが)
ところで、キンドルは今回も値段を下げたし、またこのたびのスペック改訂は過去の物に対して新バージョンを完全に上位互換とするものなので、そろそろ度重なる価格改訂(まるでアップルみたいだ)に嫌気がさした人も多いのでは?それともまだまだキンドルを購入している層はパスポートをもっていないような人々だと思われているのだろうか。(ちなみにアメリカ人のパスポート保有率は14%ほどに過ぎないと言われている)
今回のキンドル国際版リリースの背景の一つにあるのは過熱しつつある電子ブックリーダー市場で他社を牽制することが一番大きかっただろう。前回の値下げは新学期を迎える学生に対してだった。さすがにクリスマス商戦向けにもう一回下げるとかはないだろうが、この冬のホリデーギフトにはあちこちで重宝されるだろう。来年ラスベガスで開かれる恒例のCES(Consumer Electronic Show)では大量の電子ブックリーダーがあふれているに違いない。またもう一つは著作権問題でなかなか重い腰をあげない海外の出版社に対する牽制、というか挑戦だ。キンドルは英語圏では猛威を震うだろうが、日本・台湾といった市場では一部のユーザーにしか指示されないだろう。(iPhoneのキンドルアプリはかなり売れるかも知れないが、もし対応したらだが)また南北朝鮮と中国には出荷されないようだ。これは3Gのパートナー契約によるものなのか、はたまた違う思惑があるのか。
ところで、業界筋では来年の春頃にもう一度キンドルがバージョンアップするのではないかという見方がある。これはEPUB形式に対応するというもので、ここでさらに値段がさがればかなりお求めやすくなる。だが、EPUB対応にするのにはそれなりのリスクが伴う、現行のフォーマットにしたがうほど著作権管理が簡単ではなくなるだろうから。しかもキンドルストア上のコンテンツの多くに対してEPUBへのファイル変換作業を行うのはそれなりに大変だろうと思う。(ぜひ当社開発のオーサリングツールを活用して頂きたいものだが 笑)
いずれにせよ、アメリカでキンドルストアで日本語や日本文化に関連したコンテンツを販売している当社としては願ってもないチャンスである。単純計算で一気に100倍!とはいかないまでも年内に50倍程度の売り上げになってくれることを願いつつ、コンテンツの大量投入を続けていくつもりである。今月は先月の倍くらいのペースで売れているので巷を賑わすキンドル人気が売れ行きに拍車をかけているのは言うまでもない。米国の大手バーンズ&ノーブルズも新たなリーダーを発表したようだし、乗数で売り上げが伸びていくこの市場、まだまだ先行者利益は続きそうである。出版のご相談はぜひこちらまで!

20 10月 2009
昨日東京入りした。今回はそれほど寒くもなく、雨もふっておらず大変過ごしやすい。
全米で大人気の絵本 “Where the Wild Things Are” (Maurice Sendak著、神宮輝男訳)の映画が全米で封切られた。(日本での公開は1月の予定) 早速妻と長女が見に行ってきた。ずいぶん楽しみにしていたものだが。。。反応はさて!?
それにしてもこのタイトルの訳はなかなかいい感じだ。この際のカギはもちろん “Wild Things“ のわけで、これを「かいじゅう」として絵本風に漢字なしの表記で統一したあたりにセンスが伺える。また音の語呂も7・5となりちょうどいい。
「くうねるところにすむところ」というのは有名な落語「寿限無」の一節だが、この表記はそれに音感が近いように感じる。またこの「寿限無」はNHKの有名な教育プログラムの中でも何度も繰り返し詠唱されていたので、多くの子供たちの耳に響きが残っているだろう。
「かいじゅう」は「怪獣」だとちょっとどぎついし、「かいぶつ」だと少し使い方が限定される。かといって「きょうりゅう」では誤訳になってしまうし、何よりでてくるモンスターみたいなキャラが恐竜みたいには見えない。私ならどう訳すか、ちょっと考えてみた。
「かいじゅうたちのすむところ」 → いる と すむ ではどう語感が違うか?
「こわいこわいのいるところ」 → あかちゃんみたい?
「かいじゅうたちのらくえん」 → らくえんかどうかわからないし、のらくえんと続くのがあまりいい見た目ではない
「あらくれもののいるところ」 → あのキャラかなりほのぼのとしてるのでピンとこない。
「こわいばけものがいるところ」 → Again, ばけもの!?
「こわーいやつらのいるところ」 → ちょっと男の子向きすぎるタイトルか?
というわけで、この訳よりいいのが思い浮かばなかった。すっきりとしてていいタイトルだ。日本の興行がよければいいのだが、いずれにせよ日本のお子さんたちにもぜひとも言語の英語で読むこともおすすめしたい。
<PR>
キンドルの国際版がいよいよ発売に!アメリカのKindle Storeに出版すると一気に世界百カ国に配信されます。このチャンスを逃したくないクリエーターの方はぜひ当社まで作品をお持ち込みください!
16 10月 2009
去年の今頃、知人からのある一本の電話が最終的には200人近い数の従業員を救うことになった。とある企業の救済が緊急で必要になったケースだった。その知人から紹介された方に、すぐに会うことになり、すぐにその方の日本の上司と連絡がつながった。翌週には東京に飛び、どういうオプションがこの状況で可能なのかと懐疑的な会計士や経営陣を前に一緒に頭をひねった。成田へ向かう飛行機の中で私の頭はいつにも増してすごい勢いで回転していた。テーブルの向かいにすわる不安そうな顔ぶれに一つ一つ私の案を順番に紹介していた時、とある企業にみんなの視線が輝いた。「これならいけるかも知れない」 その翌日私は買収先となった社長さんのもとに趣き熱心に説明した。結局忙しいスケジュールの合間を縫ってなんとか二人の社長をつなぎ、経営統合への道は開いた、それもわずか2日という異例の短さで。フィーも破格だった、かかった時間に対しては、ということであるが。が、それにも増して嬉しかったのは多くの人の生活を救うことができたという満足感だった。帰りのフライトの中で爆睡していた私の頭の中はからっぽだった。
そしてまた、今年。同じような一つの案件を、私がアメリカに来て以来ずっとお世話になっている、いわば一番の恩人であり、恩師であるF氏から紹介された。そのスケールの大きさに驚愕しながらも、私はそれを断る言葉をもっていなかった。せめてもの恩返しに、と一心不乱にこれまでその案件をおいかけてきて、急遽この日曜日から今回は北京に飛ぶことになった。内容についてはまだ多くを明かせないが、またこれで救われる多くの命があることだろう。話を聞いたら無理だとか否定的な意見をいう人も多いが、その言葉が自分にとってどれだけ意味がないかをよく理解している。今の私を突き動かすのはこの仕事の社会的意義の大きさと、この事業によって救われる多くの人々、この事業が世の中に与える途方もないインパクトである。うまくいくかどうか、それは誰にもわからないし、そんなことに興味をもっている時間すらない。「勝利できない環境は与えられない」 私はそれを信じている。自分の信条は “Where there’s a will, there’s a way”. であり、座右の銘は「義を見てせざるは勇なきなり」だ。敵前逃亡はあり得ないし、そんなこと今までしたこともない。まさに、やるしかない、の世界だ。
(余談)中国でも電子ブックリーダーがでているらしいから、それも見てみたい。自分なら今世界が一番求めている端末をつくるお手伝いができる、そういう自負をもっている。もうすぐ国際版キンドルが発売される。最近ますます好調な日本語学習カードなどの当社オリジナルコンテンツが世界100カ国で販売されるというのは強力な追い風であり、6月から試行錯誤してきた内容の正しさを証明してくれるものでもあると思う。今回の出張には間に合わないが、次回の出張には国際版をもっていって東京で試してみたいものだ。なんども言うが、電子出版のすごいところは「これまでの著作物を単純に電子化」するものではない。「これまでの紙媒体では絶対できなかったことを実現する可能性をもっている」ところなのだ。
11 10月 2009
ゴルフを始めてもうすぐ1年半が経とうとしている。なんとか年内に90斬りをしたいと思っているが、ベスグロは103、ベストのハーフは46と、まだあまりさえない。こつこつやるしかない、と自分にいいきかせて、練習を続けている。
しかし石川遼はすごい。ネットでの反応なんかを見ていると彼のプレイには純粋に感動しているゴルファーがものすごくたくさんいる。果敢にグリーンを攻める姿勢、もはや芸術ともいえる高くてきれいな弾道、国際舞台での活躍など、まさに国際人といsてすばらしい地位を築いてくれている。
アメリカチームとグレッグ・ノーマン率いるアメリカ以外の国のチームで行われる対戦形式のプレジデンツ・カップが今世界中で話題になっている。トップレベルのプロが参加するのに賞金はなし。それぞれ国の威信と名誉をかけて戦う。まさにプレ・オリンピックだ(ゴルフは2016年から正式種目となった!)
初日はタイガーウッズとストリッカーという世界ランクでも3本の指に入る選出たちとプレイして敗北したものの、韓国のヤン選手と組んだ昨日の第2戦では見事勝利!
残る日程もがんばってほしい!個人的にはアンソニーキムとヤンの韓国人対決もみてみたいが、やはりヤンVSウッズの再来が目玉になるのだろうか。いずれにせよ、目が離せない週末である。がんばれニッポン!
10 10月 2009
Take ~ for granted. というフレーズは受験を経験したり英会話を習ったりする課程で一度は耳にしたことがあるのではないか。
~を当然に思う。 というような意味である。
オンライン時代の強い味方、スペースALCの英辞郎には下記のようにある。
- take ~ for granted
- ~を当然{とうぜん}[当たり前・もちろんのこと・常識{じょうしき}・無論{むろん}のこと]と考える[思い込む・見なす・独り決めする]、てっきり~だと思う、~に慣れっこになってしまう
・I take his success for granted. : 彼の成功は当然だと思う。
・That kind of thing should be taken for granted. : そんなことは当たり前のことです。
- 〔当然{とうぜん}のこととみなして〕~を軽く見る、~をみくびる、~の有難み{ありがたみ}を忘れる[全然分{ぜんぜん わ}かっていない]、~を気に掛けない、~を正当{せいとう}に評価{ひょうか}しない
が、あえて私はこう言いたい。 “Don’t take anything for granted.”と。当然なことなんて何もない、つまり何にでも感謝すべきだ、という意味で。
世は依然不況である。避けようと思っても耳に入ってくる多くの雑念や不安などといったものを克服する上で禅のアプローチを試みてみるのは非常に効果的である。たとえば、「周囲の不況と自分は関係ない」とか「周囲と自分を比較することに意味はない」といった悟りもあるだろうし、なんだかんだ言っても自分の周りにある様々な恵まれた物事を改めて認識し感謝することもできる。いくら不況でも自然の美しさや空気までは誰ももっていかないし、一日はやっぱり24時間、生命は一人一つである。ほかにも子供の笑顔や優れたアート作品から受ける感動などは不況とは関係なくそこに確固として存在するものだ。
この不況下では、今まで自分が考えていた前提条件というものが根本から崩れ去ることがある。たとえば年金や会社、売掛金(代金)、貸したお金などなど、普通に考えれば当然もらえるはずのものがもらえなかったり、期日通りでなかったり、あるいは遅れてやってきたりする。大会社であっても倒産する訳で、下手すると何も信用できないというような疑心暗鬼に陥り猜疑心ばかりが強くなってしまう可能性がある。これではネガティブサイクルに突入するだけで、状況は何も変わらない。
思うに、今の社会はこれまでの恩恵を改めて感謝するところから再出発すべきなんだと思う。ないもの、当然あるはずのもの、ではなく今自分が有しているものに感謝をすることから始めてみる。資本主義経済特有の成功に伴う慢心があちこちに蔓延していたのを戒められているのではないか。もちろん自分自身も反省することばかりだが、最近あちこちで「思うにやはり私は傲慢だったんです」みたいな自省の弁を聞くことが多くなった。これを言える人はある意味で、もう底を打っている人なのではないだろうか。
たとえば昨日とある飲食店で昼食を取った際の出来事。もともとは家内のために持ち帰りだけを頼むつもりだったが30分かかると言われたので、自分の分だけは店内で食べながら待つことにした。ところが食事が終わってもそれができていないようだ。忘れられていたらしい。もともとは持ち帰りだけにする予定だったのを変更したのは店員も知っているし、目の前でシェフにオーダーが入っているのも目撃している。単純なケアレスミスである。が、私はチップの金額を半分以下にすることに決めた。そして一言理由を書き添えた。次回に期待をして、ということだ。昨今チップは激減していると友達の寿司マンもいっていた。15%や20%のチップをもらうのが当然だという態度では結局みんなのためにならない。嫌な店ならこういう経験をすると二度と行かなくなることもあるが、ここはひいきにしているところなので期待を込めるという意味であえて厳しい姿勢を取らせてもらった。本当なら1ドルチップにしようかと思ったが、中身をみたらちゃんとエキストラでオーダーした内容が反映されていたので、そこには敬意を表したわけである。もちろん客は自分で、本来はそんなこと当然なわけだけども。
一から始める時の一は感謝でもいい。これまで通りの普通や常識が通用しなくなっているこのご時世で普通に過ごせることがあったらそれだけで感謝だ。そう思って生活していこうと思う。
10 10月 2009
一つ前のエントリーでノーベル文学賞について書いたばかりだったが、今度はアメリカのオバマ大統領がノーベル平和賞を受賞したとのこと。
ノーベル財団の公式サイトでのニュース
受賞理由説明文にはこうある
“for his extraordinary efforts to strengthen international diplomacy and cooperation between peoples”
その国際外交と(多様な)民族間の協力関係の構築に対する類い稀なる努力によるものである。
Let us be the Change we want to see in the world!
オバマ大統領の講演はすばらしいし、リーダーシップという意味では突出した存在であることは間違いないと思う。彼の功績については後生の歴史家にその判断を委ねたいが、この受賞理由は世界平和に対する貢献がこの賞にとってどれほど価値があるものかを改めて認識させてくれる。(平和賞だから当然ではあるが) よくキャリアプランニングで自分の墓碑を考えるところからスタートするというのがあるが、自分の墓碑に刻まれていたら生涯に悔いはないだろうと思える、そんな言葉だと思った。そのためにはやはり一日一日をよく生きることだろう。
9 10月 2009
2009年のノーベル文学賞はドイツの女性作家ヘルタ・ミュラー(Herta Müller)さんに授与されることになったそうだ。
ノーベル財団のHPでのニュース
なんでこんなエントリーを書いてるかというとノーベル文学賞受賞は私の生涯の目標の一つでもあるからで、これまでどういうアプローチでいくかを考えていたが、最近はまっている禅をテーマにした文学でいこうと最近方向性を決めたところ。過去10年間ほど夢に描いているこのビジョンを48歳くらいまでに実現したいと思っている。もともとの発想は「環境文学」だった。これはただ読むだけでなく、「読んだあとにその作品のテーマとなる特定のトピックに対して読者自身がスタンスを取る行動に結びつけるもの」、とざっくりしたアイデアだったのだが、禅の「公案」がこれにぴったりだということに最近気づいたので、これでいこうと思い立った。現在は抱えている出版翻訳の案件以外に電子出版に関するものとネットの近未来についての著作をしたためているところだが、これに加えてZEN ENGLISHとZEN経営、ZEN Parentingというテーマでも執筆をしたいと思っている。ZEN GOLFという本はこの点でゴルフを技術からでなくメンタルから変えることで上達させようという画期的な書籍だが、アメリカではかなり売れていてAmazonのKindle Storeでもベストセラーである。
あとは一日の中でもっとも執筆に適した時間帯をうまくそちらに活用できればよいのだが。。。まぁ焦らず努力を続けることにしよう。
8 10月 2009
昨夜スタッフの一人から送られてきたメールが全ての発端だった。
Amazon(日本ではなく米国本社)がキンドル(Kindle)の国際版をリリースするという。これは電子出版業界のみならず、世界的にかなり衝撃的なニュースだろう、というのも著作権上などクリアーしなければならない課題がいくつもあるように見受けられるのにも関わらずいきなり世界百カ国対応というのだから。フォントは依然英語だけだが、「海外に住む洋書ファン」のために販売され、AT&Tのローミングネットワークを使ってWispernet (3G通信によるダウンロード)が使えるという。これで日本出張中にもKindleを利用できるようになったわけで、個人的にも有難い話である。(当社にはKindle2とDXが計3台あるが、また1台増えそうだ) アマゾンは間違いなく出版革命の先駆者であり続けるであろう、少なくともしばらくは。
↑アマゾンのトップページで大きな告知文が出ているので見られたかたと多いと思うが、ここに原文の一部を転載してコメントを追加してみる。
>Kindleがあれば、この本と思ったら60秒以内に読んでいることも可能です。最新の携帯電話に搭載されている3Gワイヤレス技術を採用しているため、アクセスポイントを探す手間もなく、世界100カ国以上でご利用いただけます。また、携帯電話のような月々の使用料もなければ、年間の契約も必要ありません。ソフトウェアのインストールや同期の心配も無用です。
(コメント)単なる紹介文だが、「この本と思ったら。。。」のくだりは少し校正の余地があったのではないか(苦笑)
>Kindleで読んでいただけるコンテンツとして、28万冊以上の英語書籍のほか、アメリカおよび世界の主要紙-New York TimesやInternational Herald Tribune-Asian Editionを取りそろえました。私たちのビジョンは、こでまで出版されたすべての本をすべての言語で、60秒以内にKindleで読めるようにすることです。
(コメント)Kindle Storeでは現在36万冊以上を謳ってるはずだが、残りの8万冊弱はいったいどこに?しかしすべての言語とはなかなか大見栄をはったものである。もちろんできたらすごいが。。。その頃にはいくつもの出版社が消えてしまっているかも知れない。当社が出版している日本語学習コンテンツは依然好調な売れ行きだが、LMDPのコンテンツもいよいよ世界に向けて配信されるようになったということか。
>KindleはAmazon.comで最もギフトに望まれ、実際に贈られ、私たちが販売している何百万もの商品の中での売上No.1なのです。
(コメント)誰しもアマゾンの豊富な製品群については十分に知っている訳なので、これはなんともインパクトのあるフレーズだ。
当社ではオンラインマーケティングの一環としてキンドルや電子出版など、特定のキーワードの検索結果を常に追跡しているが、このニュースを皮切りにGoogleなどの検索エンジンでもあちらこちらでキンドル関連の話題が取り上げられ、順位の変動が目覚しい。それだけあちこちにインパクトを与えているということだろう。
ちなみに今回は6月のKindleDX発売および新学期キャンペーンに続いて価格改訂が入っている。いよいよ259ドルとなった。周囲の人にマーケティングをした際に希望として多かったターゲット価格の199ドルまであと60ドルに迫った。インターネットが基本タダで使えるということを考えると、もうかなりのお得感がある。
私はキンドルというハード自体はアメリカ→イギリス→カナダ(フランス語対応)→EU諸国(ドイツ語・スペイン語対応)という風に東回りでいわば歴史を遡る形で展開すると分析しており、今回の流れは大きなイレギュラーであったものの、ハードウェア自体が各国で販売される訳でないということからしても、ほぼ想定の範囲内の動きだと考えている。が、この国際版の発表時期は思ったよりもかなり早かったという感は否めない。英語でKindle Storeでのコンテンツを出版している当社にとっては追い風で嬉しい悲鳴ではあるが、最近の一部のコンテンツを巡ってのアマゾンとのやり取りや購入されたコンテンツが削除された一連の事件の経緯などから判断するに、このアマゾンの動きはやや大胆すぎるように思う。冒頭にも書いたが、この動きは私には理解できないいくつかの問題を抱えており、後にあちこちの市場でトラブルを巻き起こす可能性があるように思うのだが。。。こちらについてはまた機会を変えて見解を述べたいと思う。
話は少し変わるが、いわゆるeBook Reader (電子ブックリーダー、この呼び名が定着するかどうかは別として)のハード市場も盛り上がりがすごい。すでに20種類以上のリーダーが出ているかと思うが、来年のCES(ラスベガスで毎年行われる全米最大の家電系展示会)ではこないだの電子フォトフレームのように、いたるところでこの類のハードが見られるのではないか。今のところ市場を牽引しているのは台湾で、政府も大きく予算を投入する方向のようだ。液晶に強い韓国もSAMSUNG を中心に追いかけていくだろう。日本のメーカーは今のところSONY 以外には見当たらないが、またしても出遅れているという感がある。
いずれにせよ、先日の日本出張でも大きなプロジェクトがいくつも舞い込んだことからも、不景気も一つの峠を越えてきているようで、これからは特に「勝ち組」企業は忙しくなるであろう。波をうまくつかめるように頑張りたいものだ。
<PR> キンドルストアで世界に向けてご自身のコンテンツを販売したい方は当社(Local Mode Digital Publishing)のKindle 出版代行サービスをご利用ください!お問い合わせはこちらまで!
Posting tweet...